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hungryであれ愚か者であれ 成沢翔英
こんにちは!競走部2年の成沢翔英です。
12月は一年の締めくくりであり、振り返りの時期でもあります。そして今年の12月は、僕にとって特別な意味を持つ月です。なぜなら、人生の節目となる20歳の誕生日を迎えるからです。この大切な節目を前に、これまでの歩みを振り返り、自分の生き方について改めて考えてみたいと思います。少し長くなりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
祖父の死と人生の「有限性」を知った日
まず、なぜこのような文章を書こうと思ったのか。その理由として、先週、私の祖父がこの世を去ったことが大きなきっかけとなりました。僕自身、初めて「死」に最も近づいた出来事だったかもしれません。家族で最期を見送りながら、人間がこの世を去る日が必ずやってくるという事実を今回の出来事を機に強く実感しました。そして、この経験を通じて「自分は限られた時間の中で何をしていくべきなのか」という問いを考えさせられました。私たちは普段、時間が永遠に続くような感覚で生きています。でも、ふと立ち止まると、それがどれほど貴重で、そして儚いものかに気づく瞬間があります。祖父が教えてくれたのはまさにそのことでした。
高校時代の挫折と苦悩
これまでの人生20年間本当に自分でいうのもなんですが、嬉しいことも苦しいことも多くの経験をしてきました。ただ、その中でも、色濃く残る出来事は高校転校でした。
中学3年生のとき、ボランティアで参加した中学総体の1500mで9位になり、県外の高校からスカウトを受けました。それは、当時サッカーに打ち込んでいた僕にとって思いもよらない出来事で、まるで夢のように感じました。田舎で育った自分が県外からスカウトされるなんて、「俺は大物になる!」と舞い上がり、クラスメイトや両親に堂々と宣言して進学を決めました。
しかし、僕の理想は目も当てられないほど無惨に崩れ落ちました。
2020年、あのコロナ禍の中で高校に入学した僕の生活は、入寮とともに一変しました。携帯電話は土日の限られた時間しか使えず、コロナによる影響で外出も一切禁止。寮と学校をただ往復するだけの生活が始まったのです。
「なんで、少し先に生まれただけでそんなに偉いんですか?」
その一言が、後に続く地獄のような日々の幕開けとなりました。当時の寮生活には、「しばき」と呼ばれる厳しい上下関係がまだ残っており、1年生が一つでも寮の仕事を怠れば、すぐに指導が入る環境でした。そんなことも知らずに高校に飛び込んだ僕は、徐々に追い詰められていきました。
時間が経つにつれ、1年生の心は蝕まれ、大多数が鬱状態に陥りました。「寮が怖い。帰りたくない。」僕も、もちろん同じ気持ちでした。寮の中では息苦しさしか感じられず、学校で授業を受けている時間が唯一の安らぎでした。しかし、その状況も限界がありました。
両親には「順調だ」と連絡はしていたものの、実際はそうではなく、前期の成績は悲惨でした。10段階でオール2といったところでしょうか。中学の時はそこそこできていたのはずなのに、クラスの週に2回ある英単語と漢字テストは必ずといっていい程追試ばかりで、さらにそれでも成績不振で再々追試が日常でした。
「なんのためにしばかれ、学校に行くのだろう」
そんな日々が、自分自身への失望感をさらに深めていきました。「自分は何をやってもダメなんだ」という思いが心を支配し、僕は次第に全てを投げ出したくなりました。僕はついに「全て終わりにしよう、いなくなろう」と思うまでに追い詰められていきました。
生きる道を求めて
その夜、母に公衆電話で電話をかけると、「どうしたの、、」と優しく母が電話に出ました。本当に情けないと涙が溢れました。同時に「やっぱりこのままでは終われない、もう少し自分なりに頑張ろう」と決心しました。けれど、ただこれまでの生活をこなすだけでは意味がない。そう考えた僕は、陸上で自分を変えることを決意しました。勉強がダメなら、走ることで何かを成し遂げようと。しかし、コロナ禍であり、学校の教育方針が方向転換し、部活動の時間は削られ学習時間が大幅に増えるようになりました。そのため、練習時間は1日20分しか取れない日もザラにありました。それでも諦めずに自分なりに頑張ったつもりでした。しかし、9月の3000mの結果は9分50秒と中学生に周回差をつけられる惨めな結果でした。
県大会にすら行けない。それが現実でした。
勉強も部活もダメな落ちこぼれ、周りから冷やかな視線を向けられているそんな日々でした。
「俺は一体何をしにきたんだろう。」そんな思いが心を抉りました。
本との出会いが教えてくれたこと
そんな時、担任の先生が僕たち生徒に「本は素晴らしいよ。」と読書を勧めてきました。その言葉をきっかけに、僕は学校の図書館で伝記や小説、自己啓発本を何気なく手に取るようになりました。本の中には、僕が抱えていた悩みや恐怖を打ち砕いてくれるような言葉がたくさんありました。
「全ての偉大な出来事は、不安や失敗から始まり、恐怖や不満は、死を前にしては何も残らない」
「人生を変える方法は、環境を変えるか、自分を変えるかの二択しかない」
これらの言葉が、僕の中で新しい希望を抱かせてくれました。どんなに不安定で絶望的な状況でも、自分次第で生き方を変えることができるのではないか——数多くの本を読み漁ることでそう信じる力が込み上げました。また、「行動力」「実践的なプラン」「環境」という3つのキーワードを軸に、自分を変えることを目指すようになりました。
そして、初めて心の底から「本気で全国大会に出てみたい」とワクワクする目標を持つことが出来たのです。
これが僕の新しい夢と挑戦になりました。
覚悟を決めた瞬間
全国大会に出場するために、僕は高校駅伝に活路を見出しました。全国高校駅伝は、各都道府県から1校が出場します。補欠メンバーでも全国の舞台に立てるのです。現在の環境ではその夢を叶えるのは難しいと感じた僕は、全国大会常連校である山梨学院への編入を決意しました。「落ちたら中卒」という大きなリスクの中での挑戦でしたが多くの方のお力添えがあり、何とか無事に編入試験に合格しました。
そして3学期の終業式、僕はクラスメイトの前でこう宣言しました。
「来年の12月、NHKに必ず出ます。テレビをつけてください。」
その瞬間、自分の言葉に自分自身が震えました。当時の実績は、3000m9.25 5000m16.18 でも、「やるしかない」と覚悟を決めた瞬間でした。
生きる力をくれたこれまでの経験
この一連の経験が、僕を変えました。
「何もかもがダメな自分」から、「自分を信じて挑戦する自分」へ。
そして、この挑戦が慶應への選択肢を開き、ケニアへの挑戦へと僕を突き動かしてくれました。人生には、想像を超える苦難があるかもしれません。でも、失敗から学び、もう一度立ち上がることができれば、人はどこまでも進むことができる。苦難と同じくらい人生には、想像を超える喜びや感動がある。だからこそ、価値があり、有限であり、尊いものであり、かけがえのないものなのではないでしょうか。
最後に、スティーブ・ジョブズ氏の大学卒業スピーチの一部分を紹介させていただき、締めくくらせていただきます。(一部抜粋)
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。
誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。
私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていました。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたものです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。ハングリーであれ。愚か者であれ。ありがとうございました。
スティーブ・ジョブズ
※スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ原稿の翻訳。
参照 https://www.nikkei.com/article/DGXZZO35455660Y1A001C1000000/
最後に
今年はなかなか上手くいかないことも沢山ありました。しかし、これまでもそしてこれからも僕は、 「hungryで愚か者でありたい」そう強く思います。
来年は、より僕らしい、俺らしい、新しい、そんな成沢翔英を体現していきます。長々とありがとうございました。 次回は野田くんです。
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