遅くなりました
はじめまして
2年トレーナーの井上りこです
大木君からハードル高くバトンをいただいてから時間が経ってしまい申し訳ありません
実はもうすでにブログは書き終えていたのですが、いざ自分の番になったときに自分自身の心持ちというか状況に変化があり、投稿することができませんでした
でも何か書かなくてはと考え2日経ちました
とりあえず思いつくことを書いていこうとPCに向かっています
ちょっと頭が悪いので、しかもよくまとまってないので
おかしな文章になるかもしれませんが、温かく見守ってください
私が小学生の頃、ミュージカルアニーに挑戦していました
1年に一度オーディションがあり、書類審査に通ると1次審査→2次審査→最終審査と3日間かけて選考されます
この舞台は主人公のアニーと、そしてそれを取り巻く主要キャストの
子供たちと大人、それからアンサンブルで構成されます
オーディションは、アニー役をはじめ、数人の孤児役を決めるのですが、
もちろんみんなアニーになりたいわけです
ただ、それぞれの役には年齢制限があり主役のアニーは10歳11歳の
2年間だけです
アニー役の時期でない子はそれ以外の主要キャストを目指すわけですが
下は幼稚園児から上は小学6年生くらいの子たちが憧れの舞台を目指して
挑むあの3日間の熱気は今でも忘れられません
私がアニーに初挑戦したのは小学3年生のときでした
何万人と応募するので書類を通過するのも大変なことですが、
初めての挑戦で私は通過することができました
まだオーディションを受けるほどの実力はありませんでしたが、
私はもう舞台に立てる気満々で会場に向かいました
何千人というライバルたちが会場にいました
控室で待つ時間は長かったけれど
私は楽しみで楽しみでわくわくしていました
いよいよ私の番になり、課題曲15秒を歌い切りました
審査結果はその日の夕方、会場で発表されます
当然落選しました
私はそれまで自分の望みがかなわなかったことはありませんでした
行きたいところ、やりたいこと、ほしいもの何でも手に入っていました
だから自分の思いが通らないことなどあるわけないと
本気で思っていたのです
私は帰りの車の中で無意識に涙を流していました
無意識にどうしてダメだったんだろう、あのときちょっと音をはずしたかもしれない、少し練習が足りなかったかもしれない、これがテレビだったら
巻き戻したいと言っていたそうです
少し落ち着いた頃母が言いました
世の中にはどんなに頑張っても頑張ってもかなわないことがたくさんあって
目指すものが高ければ高いほど、難しい
どんなに練習をしても努力しても、ダメなことがある
ママもアニーの舞台に立たせてあげたいけれど、同じように努力をしている人やりこよりも実力が上の人はたくさんいるわけだから思うようには
いかない
今までの自分を振り返って何を学べたかそしてそれをどう次に生かせるか
というようなことを言われました
でもこれだけを目標にやってきた私には次の一年を考える余裕もなく、ただただもう一度やり直したい、なんでなんでという気持ちをしばらく引きずり
ました
気を取り直して挑戦した2回目は書類審査すら通りませんでした
ここまでの一年は前回と違い休むことなくひたすら練習してきたので
少なからず手ごたえを感じ、今回はかなりいけるだろうと思っていただけに
挑戦もできずに終わることが信じられなくて立ち直るまでに相当な時間が
かかりました
次の一年は、今まで習っていた声楽やバレエ、ダンスや筋トレなどミュージカルに関係する習い事のほかにボランティアなどに参加したり、お寺に行ったり、ヨガをしたり、一見ミュージカルとは関係のないこともやったりしました
すべて母の提案でしたが、何の意味があったのかを知るのはその少し後のことです
そして3回目最後のアニー挑戦となる年
技術的な自信はありました
模擬でも成績はトップクラスでした
アニーの歌詞を書いた先生に師事していたのですが、その先生も間違いないでしょうと太鼓判を押してくれていました
1回目のわくわくも2回目のおごりもありませんでした
無心だったと思います
開き直りに近かったかもしれません
1次通過、2日目1次、2次が通過、3日目1次を通過して最終審査になりました
少し、ミスをした・・と思いました
結果は落選でした
ずっと目標にしていたものがすぐそこにあったのに
あと一歩というところでダメでした
でも1回目や2回目のような気持ちはありませんでした
涙は出たし、悔しい思いもありました
でもこれ以上できることはないと思えるほど練習してきました
これが自分の実力だとも思いました
やり切ったという思いが私の心の大半を占めました
その後私はいくつかの舞台に立ちました
主要キャストのときもあればアンサンブルだったこともあります
自分が一方的に舞台を観る側だったとき、ほとんど主役にしか目が行きませんでした
はじめてオーディションを受けたときも何が何でも主要キャストになりたい主要キャストでなければやりたくないと思いました
でも舞台は主役や主要キャストだけではなく、アンサンブルがいて、大道具さんや衣装さんなどの裏方がいてカンパニーです
良い舞台は演出や衣装、舞台装飾、アンサンブルがより
主役を引き立たせ素晴らしい舞台ができあがります
そこがダメだといくら主役が良くても良い舞台にはなりません
むしろそれがよければ主役が不調でもまとまると思うことすらあります
そういうものに目が行くようになりました
高校時代NYのブロードウエイで本場のレッスンを受けました
この先も舞台の世界を進みたいという気持ちもあったからです
しかしNYから戻り、私は箱根駅伝に照準を当てました
もちろん主要キャストではなく、アンサンブルでもなく、
裏方さんとしてです
裏方がダメなら主要キャストたちも力を発揮できず、
舞台も完成しないでしょう
一員として箱根駅伝という舞台製作に力を注ぎたい
そういう思いを持っていました
でも現実は厳しい
裏方がまとまらず、迷っていたら主要キャストの方向もぶれるはず
そう思っても迷いは尽きない日々
今年はダメだった、また来年頑張ろうと言われても限りのある挑戦
そのモチベーションを保つ難しさ、1年先が永遠に思える世界
だけど、何をおいても掴み取りたいと思えることに出会い挑戦できることは
それだけでも素晴らしい人生だと思います
私は今までもこれからも
ひとりひとりの努力と思いが予選突破という結果となることをどんな状況であっても心から願っています
最後に
気になった人はいないとは思いますが・・
母がボランティアに参加させたり、それまで以上にあいさつなどを徹底させたりしたことの意味を後から聞きました
アニーのようなたくさんの人がなりたいと思っているものを目指すとき、人以上に努力することはあたりまえのことだけど、努力の差など誰かが測れるものではない
みんな自分がいちばんやっている、精一杯やっていると思っていて、実際にそうだと思う
だけど、選ばれる人数は決まっていて、その差は何かというと、この世界に限って言えば「光るものがあった」とか「何かが違った」とかそれぞれの価値観じゃないかと思われるような答えしかなかったりする
ママはそれは「運」であると思う
ふざけてるのかと思うかもしれないけれど
運も実力のうちという言葉はだからあるのであって、
そしてその運を引き寄せるのは自分の心である
他人をねたんだり、他人を批判したり、陥れたりすることではなく、自分自身の行いだと
あいさつをする、ボランティアをする、それを心からできるような人間になれば、運も味方してくれるし、たとえそれがかなわなかったとしても自分が納得できるような答えが必ず見つかると思う
個人プレーでもチームプレーでも他人と比べるのは簡単で無意味
自分自身と闘うことは難しいけどそうあるべき
と言われました
小学生の私によくもそんな高度な教えを説いたなと思いますが、常にこの言葉があって、なかなかその域には達しないけれど迷いがあったときには
ここが原点で、ここに戻る、戻ろうとする私です
・・・ということで終わらせていただきます
次は菅平井上から日吉にいる葛西君へバトンを渡します
しっかり繋がりますように
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