未来は僕等の手の中
ご無沙汰しております、田口君より襷を受け取りました、田島です。まずは、お正月の箱根駅伝に際しまして沢山の応援を賜り誠に有難うございました。19年の人生の中で一番「頑張れ」と「お疲れ様」を言われました。幸せでした。InstagramやTwitter等SNSで沢山のメンションをしてもらったり、もう何年も会ってない懐かしい友達からメッセージが届いたり、この大舞台の規模の大きさを感じることができました。
恐らく今後同じくらいの応援をして頂けるのは再び箱根路へと舞い戻るその日でしょうか。
さて、今回のこの経験を通して感じたことはあまりにも多すぎて当然全ては書けません。何をどこから書けばよいのやら…。そうだ、これにしよ。
※各見出しはほぼテキトーです、深掘りしても何も出てきません。
I. 銀紙の星
前回のブログにて僕は、追い求めている何かとは箱根駅伝というラインを超えた先に見つけられると思う、と考えを述しました。で、実際どうだったのか。残念ながら見つけられたようには思えませんでした。景色は変わった?思考は変わった?価値観は変わった?いずれも大きな変化は感じられません。今だってスピード系練習は苦手だし、野菜より肉が好きだし、音楽の嗜好もそのままだし、長い話は苦手だし、勉強嫌いだし、可愛い女の子が好k…失敬。
とにかく、箱根を走る前と走った後で身に起きた変化はなかったのです。あ、大丈夫です、もちろんモチベーションは爆上がりですよ。あれだけ情けない姿を全国ネットで披露したのですから(正確には映りもしませんでした笑)、このままで終われる筈がありません。一年後の僕らの笑顔のために今からできることは全部やっちまおう、と燃えに燃えています。
でも、何故「これだ!」というものに出会えなかったのでしょう。恐らくゴールが原因だったのかしらと考えています。とにかく「箱根に出たい」を一心に予選会に臨んだ我々慶應義塾大学、満足するしないは別として「出場」が自ずと絶対的ゴールとして定まっていました。結果、僭越ながら僕が慶應の代表で箱根路に立つこととなったわけですが、この段階で頭の中からゴール=出場が抜けてなかったのだと思います。
そうと分かれば話は簡単です。箱根を走って何かに出会えるわけがありません。だって、有り難くも7区への出走が決まった瞬間に目標は達成されたも同然なのですから。当時、走ることで頭を一杯にしていた僕にはそれに気付く余裕はなく、ある意味燃え尽きた(?)状態でその日を迎えることになりました。記録はご存知の通りです。区間最下位相当、公式記録ではないことを意味するこの「相当」にはかなり助けられましたね。2度と使えないオプションです。頼りたくもありませんが。
さて、ならばどうすべきだったのでしょう。所詮 結果論にはなりますが、決して無意味ではないと思うので軽く考察を。僕としては、ゴールを「箱根に出る」から「箱根で戦う」へと発展させるべきだったと考えています。そうすることで目標をより先に、長く苦しい21.3kmをより深い経験として刻むことができた筈だからです。他の選手を見てもそうです。箱根で戦うこと、箱根を楽しむこと、箱根で笑うこと、箱根に勝つことを目標としていたであろう選手の走りは本当に凄かった。その勢いは留まるところを知らないようでした。そんな、出ることで満足するような選手は戦えないのが当たり前ですよね。今なら分かります。そんな慢心するような自覚はなかったとしても。
II. マッハ50で駆け抜ける
著しい変化は感じられなかった僕ですが、ある大事な勉強をすることはできました。視点についてです。僕は小学校の頃から委員長やリーダー、キャプテン、または副将等の役職を担うことが多く、それなりに働いてきました。その経験もあり、どちらかというと視野は広い方なのかなと自負もしていました。厳しくするところは余計な遠慮はせず、楽しくするところは配慮を伴って、と。臨機応変な対応ができたり、末端までしっかり目を光らせたり、大きな失敗もなかったので、自分のやり方に大きく疑念を抱くようなことはありませんでした。
そんなこんなで、これまでチームの幹部的な立ち回りであることが多かったのですが、今回の学生連合では違いました。まだまだ1年生だし、エース級はいっぱいいるし、何なら各チームのキャプテンも数名いるしということで、そこについていくメンバーになることにしたのです。なんか偉そうですいません。
そうするとまぁ色々なものを集中して見ることができました。めちゃめちゃ強い選手だらけですし、ウォーミングアップやエクササイズの内容などを参考にしない手はありませんからね。「体幹に刺激入れてるなぁ」とか「うちでも取り入れてる補強やってる」とか「流し速えな」とか、僕もやってみようって思う光景がいっぱいありました。
つまるところその時の僕はインプットを図っている状態です。自分を成長させるためにいいものを取り入れるというこの行為、当たり前なのかもしれませんが僕にとっては何故か新鮮な感じがしました。これが勉強でした。これまでも様々な組織にて意識的に視野を広く持って行動をしてきたのですが、この時に大事にしていた視野は指示やアドバイスを飛ばすためのもの、即ちアウトプット用だったのです。これに気付いた時は衝撃でした。ショックでした。
いつしかある人とリーダー像について話したとき、「リーダーって組織を引っ張るものだと思ってない?それ、違うよ、只の独裁じゃん。引っ張らないと動かないような組織を作っても誰も幸せにならないから。リーダーって、各メンバーのあらゆる方面にバラけちゃった方向性をまとめるのが仕事だと思うけどね。」的なことを言われました。それがあまりにも納得できる話だったので、それ(確か小6)以来、そのビジョンをぶらさぬようにやってきたつもりでした。
が、どうでしょう。僕はいつしかアウトプットしかできないようになっていたようです。外部からの新しい刺激なしでは自分の思考は無意識の内に偏ります。組織の末端までを見張ることはできても、そこから何かを得ることはできません。ビジョンはぶれぶれです。組織の発展には双方向のコミュニケーション、及びそれによる内部での尊重が何よりも必要だったんだと感じました。そこで活きてくるのがインプットでありアウトプットなのでしょう。急には難しいかもしれませんが、少しずつでも僕の思考に取り込んでいきたいところです。
III. 負けるために生まれてきたわけじゃ
とまぁ、こんな感じのことを考えながら僕の1回目の箱根が終わりました。各所でのコメントでも書いたことですが、この経験は意識しなければすぐに一思い出として色褪せていきます。一時たりともこの悔しさを忘れず、次はチーム慶應として必ずや大きな置き土産を取りに帰ります。全力で勝ちに行きましょう、未来は僕等の手の中です。是非、その日を楽しみにしておいて頂けると嬉しいです。
長い話は嫌いと言いながらかなり浅く長い話を書いてしまいました。ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました。次のブログ更新時までにもう少し話し上手になっておきます。
次は橘谷君です。昨年なんとこの男、急にパーマかけました。なかなかにかっちょええっすよ。早くレースでその姿を披露できるといいネ。それではよろしくぅ!!