成仏させて下さい / 鳥塚健太
こんにちは。
4年の鳥塚です!
早いもので、
予選会前最後のブログとなってしまいました。
いやー本当にここまで早かったです。
入学し、
「自分たちの代で箱根を決めよう」
と同期のみんなと誓い合い、
そして3日後にはその予選会。
僕はスタートラインに立つことは出来ないので、
学生コーチとしてみんなをサポートし、
快走を祈るしかありません。
慶應に行こう
高校3年の7月。
指定校推薦で早稲田に行くか、
慶應に行くか迷っていました。
高校の顧問を通じて、
保科さんと直接お話しする機会を頂き、
そのとき初めて
保科光作という人物に出会いました。
スーツを着て、
髪形をバシッと決めて、
営業マンのようなトークで
パンフレットを開いていく。
いつもの保科さんとは大違いでした(笑)。
慶應を選んだ決め手は、
「君らの代が4年になった時、
101回目の大会だね。
そこを本気で獲りにいきたい。」
という嘘偽りのない保科さんの熱い言葉。
「慶應で箱根」
という自分の意志が固まりました。
僕の4年間
入学して1年目。
メンバー14名に選ばれながらも
出走できず。
駐屯地内でトイレットペーパー係。
とにかく悔しかったですが、
その翌日の記録会でPBを更新。
入学して、少し成長できた!
と実感できた瞬間でした。
しかし、
その1週間後のペース走。
8000m過ぎくらいで急に右脚がガクっとなり、
突然転びそうになりました。
「なんだろうな」
「まあちょっと疲労しているだけか」
とか軽く考えていましたが、
そこからどんどん症状は悪化していく一方。
これがいわゆる「ぬけぬけ病」の始まりでした。
症状が出てからは
「怪我」「離脱」の繰り返し。
2年次は5~6月に足首の故障、
8月の紋別合宿でアキレス腱の故障。
予選会は出走しましたが、
いつもの症状で何回か転びそうになり、
結果は到底満足いくものではありませんでした。
3年次も、
とにかくぬける症状に苦しめられましたが、
騙しだまし練習して2度目の予選会出走。
力の入らない右脚を誤魔化し、
なんとか設定タイムでは走り切ることは出来ました。
それから今度は冬に腓骨を疲労骨折。
治ったと思ったら今度は膝を故障。
「痛すぎる。
もうこれ以上走れない。
走りたくない。」
この膝の故障とぬけぬけ病をきっかけに、
今年の4月末、
選手として身を引く決断をしました。
未練
早々に選手として引退し、
部も辞めるつもりでいましたが、
保科さんから学生コーチという立場を提案され、
ここまでやらせていただきました。
選手を辞めて未練が全くないかと言われたら
それは嘘になります。
ピリついた空気感の中ポイント練習をする姿。
朝練でジョグをする姿。
エクササイズをして準備する姿。
正直、羨ましくてたまらなかったです。
怪我で嫌いになったはずなのに、
やっぱり走ることが好きなのかな?
いや、それよりも
「慶應で箱根」
という思いが全く消えていないのかもしれない。
そう思いました。
最近は、
選手を引退したと言いつつ
膝に痛みが出ないか、
ぬけぬけ病の症状が出ないか、
恐る恐る走ってみたりしています。
まあ要するに未練タラタラなわけです(笑)。
成仏させて下さい
未練タラタラなせいで、
朝6時の競技場集合の前に
ウエイトとジョグを行う日々です。
朝4時の人気のない真っ暗な理工階段。
日吉キャンパスの警備員に
懐中電灯で照らされないよう注意しながら、
タイツとタンクトップを着て上っていく毎日。
「慶應で箱根」
その夢が叶わない限り、
僕は一生
早朝の暗闇の中をフラフラしているかもしれません。
朝4時に競技場を徘徊しているかもしれません。
予選会を走るみんなにお願いです。
未練タラタラな不審者を。
早朝にほっつき歩く不審者を。
みんなの走りできれいさっぱり成仏させて下さい!!
他力本願で本当に申し訳ない!
けど、みんななら必ずやれる!
信じています!頼んだ!!
ということで、
以上が今回のブログになります。
読んでいただきありがとうございました。
次は慶應の駅伝主務小林です。
彼女はこの4年間で
めちゃくちゃタフになりました。
影でチームを支える縁の下の力持ち。
予選会前最後のブログで何を書くのか。
お楽しみにー!
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