「自分」の範囲を拡張する
お久しぶりです。3年の鈴木太陽です。
詰め込みパックです。短編集的なノリでお付き合いください。
仙骨が折れました
はい、もううだうだ言っても仕方がないのでスパッと。
つい一週間ほど前に仙骨を疲労骨折していることが分かりました。
紋別合宿期間中に痛みが出始め、帰ってきてからMRIをとったところ分かりました。
そんなこんなで今は菅平ではなく日吉に残り、このブログを書いています。
予選会に向けて、チームは今最後の選抜合宿の真っ最中です。
これもクラウドファンディングをはじめ日頃からのみなさまのご支援で成り立っています。本当にありがとうございます。
ただ、今の自分は、
①「どうにか無理しながら予選会出走を目指す」ルートと、
②「予選会をパスして治療に専念する」ルート、
2つを常に考えなければならない状況です。
医者、トレーナー、保科さん、保田さんからの指示は後者であり、予選会はパスの方向で考えろというものでした。
歩くのも痛むほどだったので心の奥でそれが最善手と分かっていつつも、初めはその現実を受け入れられませんでした。
保科さんからは「ラストイヤーだったらまだしも、来年もあるから、冷静に」という旨のことを伝えられましたが、
外部から見ても内部から見ても今年が最大のチャンス。
自分が予選会を走って、通過する、と信じ、苦しい夏を耐えていた自分にとって、すぐに気持ちを切り替えることは難しかったです。
一方で、保科さんが自分たちの来年をしっかり言葉にしてくださったことは嬉しくもあり、
「ラストイヤーをどう過ごすかは今後の人生を左右する」
という言葉を伝えられたときにはっとしました。
ぼんやりとしていた「終わり」を突然意識するようになりました。
「自分」の範囲を拡張する
「自分」の範囲ってどこまででしょうか?
義足ランナーの義足は自分の一部な気がします。
自転車に乗っている時の自転車も自分の一部という感覚です。
テニス選手はテニスラケットも自分の一部という感覚でしょう。もしかしたらボールもかもしれません。
あるいは、走っている時に膝より下は無いものと思うなんてのもよく聞く話で、その時の膝下は自分の範囲外でしょうか。
「お腹で走る」なんて言葉も四肢を自分の範囲外に置くことだと思います。
人間は足の小指が自分の範囲外だから、ぶつけてしまいやすいなんてのもよく聞く話です。
また、爪を切っても「自分が欠けた」と思う人は少ない気がしますが、もし腕がちぎれたら「自分が欠けた」と思う人が大多数だと思います。
もしかしたら可愛いネイルをしている人は、爪を切ったら「自分が欠けた」と思うかもしれません。
このように、個人差はあれど人間の身体感覚の範囲は自由に拡張したり収縮したりすることができると考えていて、運動能力全般もこの拡張や収縮を上手く出来るか否かが重要な要素だと思います。
車も運転に慣れると自分の一部のようになるのだから、ジャンボジェットのパイロットはあの巨大な塊さえ自分の一部なのかなと考えると人間ってすごいなぁと思います。
そして、この「自分の範囲の拡張や収縮」というのは身体感覚の話だけではない、と最近思うようになりました。
「誰かのために頑張る人」と「自分のために頑張る人」がいるなんてよく聞きますが、個人的にはエンジンを自分自身において、自分のために頑張れる人に憧れてしまいます。
誰かのために頑張る人よりも、より純粋に物事を楽しみ、よりシンプルに勝利を追求しているように感じるからです。
尖った言い方をすれば、承認欲求などに縛られていないように感じるからです。
しかし、「憧れてしまいます」という言葉を使ったように、自分自身、100%自分のために頑張れるかというと全くそうではありません。
むしろ、誰かのためという大義名分がないと頑張れていないな最近、と悩んでしまう時もあります。
このもやもやを強く感じる時期は、去年も今年も、関カレから予選会への移行期です。
正直、3000mscは純度100%に近く自分自身のために走れている感覚があります。
そりゃもちろん、チームの得点に貢献したい、予選会へのはずみにしたいという気持ちもありますが、それ以上に、走っていることや勝負することが楽しい、このワクワクをずっと感じていたいという気持ちが根底に確かにあります。
一方で、予選会やハーフマラソンに対しては、「チームのため」「4年生のため」「クラファンで応援してくださる方のため」など、エンジンを外部に置くことが多く、自分自身の内側から湧き上がるパワーが足りていないことに気づいてしまいました。
自分自身のために頑張れる人に憧れながら、自分はそうではないのかもしれないと考え込んでしまうこともたまにあります。
それのなにが悪い!!と完全に開きなおって、自分ではない周りのために頑張り抜けることが出来たのが去年の予選会でした。
しかし、今年の関カレ後にまた同じことで悩んでしまいました。
そんなときに納得することができたのが、
「自分自身の範囲の拡張」です。
身体感覚の範囲がテニスラケットや自転車、車に及ぶのと同じように、頑張る原動力となる「自分」も他の人にまで及ぶように、意識の使い方を調整してみました。
「チームのために頑張る」のではなく「”自分達”のために頑張る」
言っていることは同じですが、周りを拡張した自分の一部と捉え直したことで、自分の中の自分軸エンジンと他人軸エンジンがガチッと噛み合ったような感覚でした。
ここでいう ”自分達” には、チームだけでなく家族や応援してくれる人も含みます。
自分にプラスの影響を与えてくれた人々は全て自分の一部であり、自分を構成する要素のひとつとして戦おうと思いました。
「自分ごと化」なんて言葉と似ているのかもしれませんが、そんな形式的な言葉よりもより具体的に腑に落ちることができました。
となると、予選会に向けて、どんな選択をしようと、自分達が通過するために、自分のために、できることはまだまだあるはず。
箱根駅伝を走ろう!!
「箱根駅伝を走ろう!!」
今日吉にいる分際で言うのもおこがましいですが、今年のチームは去年よりもこう声高らかに言えるひとが少ないのではないかとうっすら感じてしまうことがたまにあります。
おそらく去年全力でぶつかれたからこその壁の高さの実感によるものでしょうか。
周りからの評判によるものでしょうか。
それでも確実に去年よりも走力はついているし、別に言葉が走るわけではないので、やるべきことをきっちりやれていれば逆に力みが出なくていいのかもとも思いますが。
でも僕は声を大にしていいます。「箱根駅伝を走るよ!!」って。
別に意味なんかなくとも、なんとなく叫びたい気分なんで。
折れている状況で出来ることをとプールに通い詰めている自分が、復帰後に見据えているのは2025年1月2日3日です。
急に状態が良くなったら予選会出走を目指すこともまだ可能性としてありますが、現実的にみて、今のリハビリ段階で見据えられるのは、仕方がないけど2025年1月2日3日です。
このことを受け入れるのに少し時間はかかりましたが、全力で美味しいところをもらいに行くつもりなので、落ち込んでる暇はもうないですね。
箱根駅伝を走ろう。
関口功太郎という男
次のブログはこうたろーです。
と終わりたいところではありますが、少しだけこの関口功太郎という男について話させてください。
今チームで一番勢いにのっているのは個人的に彼だと思います。
あまりヨイショしすぎるとまた怪我しそうなのが怖いですが(笑)、2年間の故障期間を経て、間違いなく今の彼は強いです。
同じ宇都宮高校出身ですが、まわりからは同じ畑から出てきたと思えないなんて言われます。
彼のきちっとした性格と、自分の気楽な性格ゆえでしょうか。
でも実をいうと、僕は最近の彼の陸上に対する言動の1つ1つが、自分自身の高校の頃を彷彿とさせてなりません。
自意識過剰だったらごめん笑、多分自意識過剰です。
でも自分が高校のころ言っていた言葉をそのまま使っていたりで、たまに、すごくびっくりします。
こうたろーが意識して使っていなかったとしても、やっぱり同じ高校なんだなと感じてしまいます。
僕が高校の頃チームを引っ張るにあたって伝えたいと思っていたことが伝わっていたんだなと嬉しくなる一方で、昔の自分の言葉が今の自分に刺さったりします。
自分がトップにいる組織では思考に自信が持てますが、そうではない環境で揉まれる中で、いつの間にか思考がぼんやりしちゃってたなと痛感します。
目の前の練習の達成感よりも、それが結果に繋がるかどうか。本当の意味での結果主義を持つのが彼であり、本来の僕だと思っています。
今回の疲労骨折も「攻めた練習をした結果だからしょうがない」と慰めの言葉を保田コーチからはいただきましたが、もしそれで予選会を走れなくなるなら攻めた練習なんかしない方がいい。予選会で少しでも結果が上がる選択を日々し続けることが必要で、自分はその選択をどこかで間違えてしまったと思っています。
攻めた練習をこなしたことによる一定の満足感に捉われることなく、自分自身の意見に責任を持って言葉で伝える。
言われたことをただやるだけなら「責任感」って生まれないですからね。
そういった意味でも、自分自身にエンジンを置くことは重要だと思います。
最近彼からはそういったことを日々学ばせてもらっています。
今年の関口功太郎めちゃくちゃ強いんで!乞うご期待ください。そしてこうたろー、かましてくれ。
ってことで、まとまりなさすぎず詰め込みましたが読んでくださりありがとうございました。
心は折れてません!まだまだ🔥
つぎはこうたろーです。よろ。