初めまして、上原です。

ブログの更新が遅くなってすみません、今日から新入生もブログを書かせていただきます。しばらく1年生の自己紹介が続くと思いますが是非ご一読ください。というわけで例年のようにまずは自己紹介からさせてください。

名前:上原佑介
学部:法学部法律学科
出身:東京
出身高校:成蹊高校

改めて初めまして、長距離ブロック1年上原佑介です。今回は最初のブログという事で自分が慶應競走部に入るまでの軌跡を話したいと思います。少し長くなってしまうかもしれませんが最後まで読んでいただけると幸いです。

自分は小学5年生の時にクラブチームに入り陸上を始め、中学校時代はクラブと学校の部活を掛け持ちする形で練習をしていました。中学時代は順調に練習を積めていたものの高校に入ると1年目は怪我で丸々棒に振ってしまい、3年目はコロナウイルスの影響でインハイ予選を含め秋頃まで大会がなくなってしまいました。結果として2年目しかまともに走ることが出来ず納得のいく結果を残す事ができませんでした。いわば不完全燃焼だったのです。この時大学に入って本格的に競技を続けようという気持ちにさらに拍車がかかりました。しかし高校卒業後は浪人生活の始まりでした。長くなってしまうので受験生時代の事は割愛させてもらいますが、1年の時を得てなんとか合格を頂きました。私は東大や他の難関国公立を目指していたわけではなく(目指せるほど賢くなかった)現役、浪人を通し慶應が第一志望だったので合格した時は言葉では形容できないほどの安堵と嬉しさがこみ上げてきました。そもそもなぜ慶應が第一志望だったのかというと主に二つ理由があります。一つ目は先程も書いたように大学ではサークルではなく部活に所属して本格的に競技に向き合いたい思いがあったのと同時に自分の実力でも競走部に入部する事ができる大学となると、いわゆる早慶やMARCHと称される大学群の中では慶應だけだったからです。二つ目は同じ成蹊高校出身の杉浦先輩が慶應競争部に所属し活躍していた事です。私の高校は全くもって強豪校というわけではなく、駅伝の際は短距離部員から人を借りてくるほどです。そもそも長距離部員が少なく、ポイント練習はほとんど一人か多くても二人で行っていました。そのため短距離の人たちを含み私の周りの人達の中では大学入学後も競技を続ける人は少なかったです。体育会系なら尚更です。そんな中で大学でも競技を続け箱根駅伝を走られた杉浦先輩は自分の中では一つの目標でもあり憧れの存在でもあります。また私が高校の時には一時期練習メニューを作って頂いたり、何回か練習を引っ張ってもらった事もあります。
とまあこんな経緯で慶應に入学してきました。
今は受験期に太ってしまったので体重を落とす事に全力を注いでいます。約2年間走っていなかったので取り戻すのは相当時間と労力を要すると思いますが死にもの狂いで頑張っていこうと思います。また自分は自身の実力と乖離している目標を口に出す事が好きではないので4年間を通して箱根駅伝出場という目標を自分の口から胸を張って言えるようになっていけたらと思います。
拙い文章になってしまったかもしれませんが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
次は土曜日に授業があって苦しんでいる梅澤君です。非常に高尚な文章を書いてくれると思うので、乞うご期待です。


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慶應義塾大学 競走部長距離ブロック 〜選手たちの軌跡〜
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