負けたらあかんぞ
瑞から引き継ぎました2年の杉森星彦です。前回ブログを書いたのは4か月前でしたが、瑞の紹介にもあった通り、この4か月かなり苦しい日々を過ごしました。2月中旬までは順調に走れていましたが、2月に怪我をしたのをきっかけに、アキレス腱、仙骨疲労骨折と完全に怪我のループにはまってしまいました。故障した部位周辺の筋力が落ちて、そこをかばうようにして走ると別のところが痛くなる、焦って無理してしまうの繰り返しでした。6月頭からの1か月は継続して練習できていますが、気づいたら3か月ポイント練習をやっていない状況です。
学生ハーフ、六大学対抗、関東インカレといった目標としていたすべての主要な大会に出られませんでした。3月の怪我の時は、補強に時間をかけたりフォームを見直したりとモチベーションは保てていましたが、疲労骨折を診断された時は、また故障生活が続くのかと考えると絶望し、1週間ほど何もする気になれませんでした。また、今年から大学の授業の方も忙しくなり、机に向かう時間が急に増えました。その結果、陸上にかける時間、熱量がどんどん低下してしまい、なぜ陸上続けているのだろう、と自問自答の日々が続きました。
そんな心境の僕を立ち直らせてくれた出来事がありました。5月に祖父が亡くなり、生まれて初めて身近な人物の死を体験しました。祖父は、運動神経抜群でバレーボールの国体の選手でサーブだけで試合を決めたという伝説を残したほどです。僕のがっちりとした脚は祖父譲りだと思います。ですが、晩年は脊椎管狭窄症という病気で手足が常にしびれている状態でした。そのため歩行にかなりの制限があり、広い家の玄関に出るまで5分ほどかかることもありました。そして数年前からは車いす生活をしていましが、皆で食事をするのが大好きでいつも家族の中心でした。不自由なことが多い中でも、僕が会いに行くときは、陸上で結果がでない時も怪我をした時も受験がうまくいかなかった時もいつでも、「一度や二度の失敗なんてたいしたことない。生きとったら自分の思い通りにならんことは沢山ある。負けたらあかんぞ。」と励ましの言葉をかけてくれました。方言が混じって、何を言っているかわからないこともあったけど、全力で僕に熱いメッセージを伝えようとしていたのを覚えています。死ぬ直前も涙を流して「あー(ありがとう)」と大きな声で叫んでいたそうです。
死ぬ間際まで日々を全力で生きていた祖父に対して、こんな小さな怪我でめげている自分はなにをやっているのだろうという気持ちになりました。
また、故障期間中、仲間にも助けられました。補強に誘ってくれたり、自分の弱点を指摘してくれたり、お前がいないと困るから早く戻って来いよと励ましの言葉をもらったり。箱根駅伝にチームで出場して、苦しい時に支えてくれた仲間と襷をつなぎたいと思い、また頑張ろう決心しました。
故障期間中は非常に苦しかったですが、学べたことも多くあります。新しい補強、動きづくりを本や動画で調べて自分に合うものを試行錯誤したり、それらの一つ一つの意味を考えてやったりと走る以外の面で大きく成長できました。気持ちを入れなおして、夏合宿でしっかりと走りこみ、箱根予選会にピークを持っていけるように頑張ります。
最後にはなりますが、長距離ブロック今年もクラウドファンディングを開始させていただきました。今現在、開始1週間で約60名方から180万円ものご支援をいただいています。心より感謝申し上げます。精一杯頑張りますので、引き続きご支援、ご声援のほどよろしくお願いします。
次は順調に練習をつめている野田です。頼んだノダ!