競技歴13年 長距離初心者の君へ / 尼子夏年
こんにちは、4年の尼子夏年です。
ついに自分も、4年生の予選会前最後のブログを書く日がやってきました。
1年生のこの時期、当時の4年生たちの予選会前のブログを読んで、3年後自分はここにどんなことを書くんだろうか。それまではたして部に在籍しているのだろうか。そんなことを思ったのを覚えています。
このブログを書いているということはひとまず部には在籍しているみたいですね。良かったです。
予選会前最後のブログ。
これまで先輩方のブログを読んできて、なんとなくこのブログには「型」があるなあと思いつつ、ガン無視で今思っていることをありのまま書きます。
走れない予選会
2021年3月27日に入寮してから今日までの1295日。
あっという間、、、ではなかったです。
長かった。辛い時間の方が多かった。
1年時、蔵王合宿の名物練習である500hill×15をやりながら「あとこれ45回登るの?」と思ったとき。
ある日の朝練時、疲労で㌔7のjogもできず、気づいたら歩いてしまっていたとき。
2年の冬から3年の春までの半年間、怪我を繰り返し、まともに走れなかったとき。
「辞めたら楽になるのに」と何度思ったことか。
それでも辞めなかったのは、どうしても箱根駅伝に出たかったから。
20kmもの間、沿道から声援を浴び続けられる「箱根路」に憧れたから。
「予選会メンバー」として本選への切符を掴み取りたかったから。
箱根駅伝と、その予選会だけを見て走り続けた4年間。
しかし、4年目の最後の予選会。
エントリーメンバーに僕の名前はありません。
エントリーメンバーが発表された10月6日のミーティング。自分の名前が呼ばれなかったことになんの疑問も抱きませんでした。
2回の選抜合宿に行っておらず、距離も踏めてない。直前の練習でも一番初めに垂れる選手。大納得です。
それでも4年間で一番悔しかった。
昨年の予選会でチーム12位、個人463位と大失速し、予選会の借りは予選会で返すと誓ったのに
スタートラインにすら立つことができなかった。
もちろん最終的な目標は箱根駅伝の本選を走ることです。だから予選会を走れなくても、本選までに10番手になればいい。
でも、どうしても「予選会を走って、本選も走る自分」に拘りたかった。
自分が思い描く1番理想的な夢が叶わなくなった瞬間でした。
走るぞ本選
じゃあもうどうでもいいのか
そんなことありません。
すみません。今さっき「拘りたかった」とか言っておいてなんですけど、切り替えは早いんです。
今、もう僕は本選を見据えて動いています。
1月に最高の状態に仕上げるために、まずは足を完治させる。
そのために予選会前の一番大事な時期ではありますが、練習から離脱して休ませてもらっています。
予選会メンバーは夏からずっと練習を続けてきてる上に、予選会は昭和記念公園の超タフなコース。疲労度はMAXでしょう。
でも遠慮も、気遣いも、忖度も一切しません。全力でメンバーの枠を取りに行くので覚悟していてください。
(鳥塚も「予選会終わったらポイント練習合流するわ」って言ってました。)
最後の最後まで頼りない4年生ですね。
同期と後輩に予選会を託し、練習はろくに引っ張らず、ご飯が出ない日は行方を晦ませる金払いが悪い4年生です。
挙げ句の果てに、本選の枠取りに行くわ〜なんて。
もちろん残り1週間、予選会メンバーのためにできることは何でもやります。
オイルマッサージも24時間対応しますし、ご飯もたくさん奢っちゃいます。
手足のように使ってください。
でも、どこまでいっても最後は君たち12人次第です。
当日全員死ぬほどキツくなる瞬間が来ると思います。去年の一回だけしか走ったことないけど断言できます。本当にやめたくなります。
でも、最後の最後まで諦めずに、1秒でも速く帰ってきて欲しい。
ゴールのとき時計なんて止めないで、ギリギリまで腕振って0.01秒でも速く帰ってきて欲しい。
頼んだぞ!
4年前の君へ、心からありがとう
約4年間、本当にたくさんの人にお世話になりました。
一人一人名前を挙げて感謝を伝えていきたいくらいですが、僕がそれを伝える日はまだ今日じゃない気がする。
予選会を通過したら、本選前にもう一回くらいブログを書くチャンスが回ってくると思うので、そのときまで取っておきます。
もちろんそのときは本選のメンバーとして。
ただあえて1人だけ感謝を伝えるなら
4年前、逃げずに競技を続ける選択をした自分ですね。
急な自分大好きっ子でごめんなさい。
めっちゃ臭い文章ですけど、普段自己肯定感低い分、許してください。
どこかで言ったこともありますが、僕は高校3年の秋の時点では、大学では競技を続けないつもりでした。
5歳くらいで長距離走と関わりを持ち、小学生、中学生のときはそこそこ速い方。
練習量も少なかったので、高校で本格的に競技をすればメキメキ伸びるだろうと思っていました。
でも、高校では中学時代戦ってきた同期たちに追い抜かれ突き放され、高校から陸上を始めた人たちにも勝てない。
おまけに走ると吐き気がするようになる始末。
(高校2年の日体長5000mで、4400mで吐いて途中棄権したのは良い思い出。)
「長距離の才能ないんだろうな」
「陸上楽しくないな」
「走るの嫌いだな」
次第にこう思うようになり、高校で引退しようと本気で思いました。
でも、高校3年秋。ある日の部活終わり、永遠のライバルであり親友でもある松尾史弥に「保科さんが話したいって。」と呼ばれます。
そして保科さんとお話しして、「この人のもとで走ればまだまだ強くなれるかもしれない。」
そう思い、少し心が揺らぎました。
でもやっぱり怖かった。
吐き癖が治らなかったらどうしよう、とか。
朝6時前に起きる生活に4年間耐えられるのか、とか。
どれだけ練習しても速くならないかもしれない、とか。
たくさん悩みました。本当にたくさん。
それでも最後は「もう一度走ろう」と競走部への入部を決断しました。
その決断、大正解でしたね。
入部してたくさんのことを学びました。
内臓が痙攣しないように冷たい飲み物を飲まないようにしたら、吐き癖が治りました。
それまで全く使ってこなかったお尻の筋肉を鍛えたら、怪我が減りました。
「長距離は軽さが正義」という持論を言い訳に逃げてきた体幹を強化したら、高校時代とは比べ物にならないくらい速くなりました。
走ることが楽しくなりました。
そして、たくさんの大切な人たちと出会いました。
最後まで復活を信じてくれるコーチ、最後まで支えてくれる先輩、最後まで仲良くしてくれる後輩、最後まで同じ目線で接してくれる同期。
もしあのとき辞めていたら、全てあり得なかった未来なんです。
長距離走の楽しさも気づけず、走ることが嫌いなまま引退するところでした。
13年間長距離走をやっていながら、初心者のまま終わるところでした。
あのとき、諦めずに続けてくれて本当にありがとう。
予選会前の最後のブログにふさわしい内容なのか
そんなことわかりませんが、
この先、辛いとき、迷ったとき、悔しいとき、自己嫌悪に陥ったとき、
読み返すだけでその時の感情に戻れて、頑張れる、自分を好きになれる、そんな備忘録になればいいなと思いながら書きました。
明日は木村です!
我らが慶應義塾大学の絶対的エースです。
彼はとにかく口が悪くて不器用なやつなので、恐れている人もいるかと思いますが、可愛気な一面もあるいいやつなんです。
そして、陸上に対する姿勢と熱量は誰にも負けません。
いつかのブログで「飲みに行くと一番楽しいタイプ」とか言っておいて、以来君からのお誘いを断り続けていてごめんなさい。笑
予選会が終わったらとりま飲みに行こうな!
ブログも予選会も頼んだぞ!
陸の王者の挑戦まであと8日🔥
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