勝鬨橋 / 山内雄太
田口弟から引き継ぎました。2年マネージャーの山内です。
先月田口兄が引退され、ほんの1ミリほど寂しいものとなりました。弟のnote記事では、僕が合宿所に住むことをほのめかす締めくくりでしたが、どうにもならない潔癖症と集団性の欠如を改善しない限り不可能なものかと思います。残念でした。
さて、先月より競走部は、第108代を筆頭とする新体制を迎えることとなり、シーズンスローガンは「此処ぞ、勝ち鬨」に決定いたしました。以下競走部instagramより引用。
”「此処ぞ」とは、一人ひとりが結果を求め、狙った試合で勝利をつかみ取る覚悟と勝負強さを意味しています。そして「勝ち鬨」は、戦いに勝った時に全員であげる力強い声を表しており、弊部の象徴的な応援歌「若き血」を歌う瞬間を想起させます。この言葉には、誰かの勝利を全員で声をあげて喜び合える「良いチーム」を目指す思いが込められています。”
「ここぞ」というときに勝負を決め切り「若き血」を歌おうというスローガンですが、僕は「勝ち鬨」という言葉を採用したことに強く惹かれました。なぜならこち亀ファンとして、僕の大好きな「勝鬨橋(かちどきばし)」と関連があるからです。
まず勝鬨橋をご紹介します。勝鬨橋は東京都中央区にある隅田川上にかかっている橋梁で、1940年に竣工しました。もともとこの付近の築地と月島を結ぶ渡し船があり、日露戦争の勝利を記念して「勝鬨の渡し」と名付けられました。勝鬨橋の名はこの渡し船に由来しています。
橋の特徴は何といっても中央部で大きく開く可動橋であることです。当時は水運が今よりも主要交通となっており、大型船の通行を可能にするため、さらに橋の建設費用を抑えるために、橋梁の高さは低く、中央部を開閉式の可動橋として建設されました。のちに陸路の発展により、1970年を最後に可動橋としての役目を終えました。(ちなみに工事に10億円を投じると、再び開閉させることができるらしいです。)
この勝鬨橋は、こち亀ファンならば知らない人はいないであろう名作、「勝鬨橋ひらけ!」の舞台になっています。話のあらすじは、両さんが中学生時代、間も無く引っ越すこととなる同級生に勝鬨橋が開く様子を見せようと橋に向かいましたが、その日は開閉が終了した翌日でした。しかしどうしても開閉する様子を見せたく、警官を振り切って橋の操縦室をジャックし、開閉させるという感動回です。しかし振り切った際に隅田川に落下した警官は、同じ派出所勤務の大原部長でした。当時の少年が両さんであることを知った部長に「こらー、りょーつー!」と追いかけられるいつものオチも含めてファンに人気の回で、僕も大好きな話の1つです。
僕がこの回を最初に観たのは小学生の時でしたが、あまりにも印象的だったので上京したてのサイクリングでは真っ先に勝鬨橋を訪れました。隅田川にかかっている橋梁はどれも好きなのですが、開閉していた当時の姿をそのままに残しており、こち亀補正も含めて一番好きな橋梁です。ランニングやサイクリング時にはよくここを訪れます。
勝鬨橋なんて知らない、こち亀なんて興味ない読者の方にとっては刺さらない記事となってしまったかもしれませんが、新シーズンが始まった今、noteの執筆順が回ってきた今、「此処ぞ、書き時」と思ったので執筆させていただきました。
この思い出深い「勝鬨」の名が入ったスローガンのもと、新シーズンも僕らしく最低限の省エネモードで特別頑張ることもせず、淡々とチームをサポートしていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回のnote記事担当者は、法政大学第二高等学校出身(めいもーん!)
環境情報学部1年、弓田一徹でございます!