こんにちは!橘谷君から引継ぎました、1年の鳥塚です。
箱根駅伝予選会まであと29日になりました。まだ、ついこの間入学したばかりという感じがして、今日に至るまでの5~6か月は非常にあっという間でした。きっと、それだけ充実した毎日が送れているということだと思います。今週は予選会のチーム内選考を兼ねた、東海大記録会があります。我々選手たちにとって、とても重要なレースであり、夏合宿を乗り越えて選手たち全員がさらに強くなっているので、僕も先輩や同期に負けないように頑張ります!



さて、突然ですが皆さんにとって、「自分を変えてくれた人」、「変わるきっかけとなった人」などはいますか?何かすごく抽象的な言い方ですが、どんなことでもいいです。家族だったり、友達だったり、先生やコーチ、先輩、後輩などおそらくたくさんいるのではないかと思います。陸上競技において言うならば、僕にとってのそれは高校時代の部活の顧問の先生でした。今回のブログは、僕に「変わる」きっかけをくれた高校時代の恩師のことについて書こうと思います。


前のブログでも書いたように、僕は横浜市立金沢高校の出身で、部活をやっていた当時の顧問は加藤先生という、とても熱い先生でした。箱根駅伝に出場したことがあったり、都道府県駅伝で神奈川県の監督を務めたりと実績のある人で、そんな先生に教えを乞いたいと思ったことが、金沢高校を選んだ理由の一つでもあります。先ほども書きましたが、陸上に関してはとにかく熱く、情熱的な先生で、特別な会議の時以外は必ずグラウンドに現れて檄を飛ばしていました。体調不良などで声が出づらくなって、檄を飛ばしにくくなったら拡声器をぶら下げてやって来たり、部員が活動しやすいように一人でグラウンド整備をしてくれたりもしました。他にも色々なエピソードがあるのですが、ここでは割愛させていただきます。

そんな先生は、もちろん怒ると怖いですし、怒られて「クソ!」と思うこともありましたが、これだけ真面目に、熱心になってやってもらっているのだから僕もそれに応えないといけないし、同じくらいの情熱を持って陸上競技に取り組もうと決めました。それまで、なんとなくやっていた陸上がそこで大きく変わりましたし、競技のために費やす時間が格段に増えました。もし、先生に教わることが無ければ、大学まで陸上を続けようとも思わなかったはずです。

そして、「部活をやっていた当時の顧問」という書き方をしたのは、昨年の12月に病気で突然亡くなってしまったからです。陸上競技に人生を捧げ、最期まで陸上競技の事を考えていたような熱い人に教わることが出来たことを誇りに思いますし、心から尊敬しています。今でもいつものサングラスをかけて、いつものように手を脇に挟みながら腕を組んで、どこかから見られているような気がします(笑)。
僕も他人の心を動かせる人、他人に影響を与えられるような人になるためにも、陸上競技に限らず、日ごろの勉強や寮の掃除など、全てのことに全力で取り組もうと思います!

以上、今回のブログでした!

続いては松尾君です。彼はとにかく料理が上手でして、最近は自分で低脂質の昼食を作っています。僕も彼のように料理をしなきゃと思いつつも、面倒くさくてなかなか出来ません。次はどんなブログを書いてくれるのでしょうか。お楽しみに!

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