早稲田の青春はいつも川のそば。我がよき友、キャンの思い出。
喜屋武(沖縄の名字でキャンと読む)という、大学時代の男友達がいる。8/15に彼が33歳になったそうで、誕生日プレゼントに「#わたしとキャン」とうテーマでnoteにエッセイを書いてほしいと連絡が来た。
ずっとnoteをやろうと思い放置してきたけど、この機にはじめよう。記念すべき1本目の記事で、キャンについて存分に語ってみる。
私が早大生だった10年ほど前、同じく早大生だったキャンとは特に仲がいいわけではなかった。
下駄に学ランという旧式なバンカラ学生の風貌で、石垣島出身だからなのか大学に三線を持参する変な人がいるな、くらいの認識だった。早大生がたむろしがちな大隈銅像前と大隈講堂前、そして神宮球場やコマ劇前で、ばったり会えば少し話すけど、待ち合わせたことは一度もない程度の仲だ。
知り合い以上友達未満の域を出ない関係ではあったものの、出入りするコミュニティは不思議と重なっていた。あの頃、よく遊びに行った早稲田のシェアハウスが3つあった。Y字路の切っ先に建つ高田荘、都電荒川線早稲田駅すぐ近くの平山荘、オフィス内の和室に早大生の書生が数人住んでいたとあるベンチャー企業。そこで飲んだり語ったり電源を借りたりして、帰り道は神田川沿いを高田馬場駅まで歩くのがあの頃の私の恒例だった。
キャンもその3拠点の住人と仲が良く、数年後には平山荘に住んだりもして、なんだかんだ共通の知り合いは100人以上いたと思う。
そんな私とキャンが急接近したのは、学生生活最後の日の卒業式。いろいろな偶然が重なり留年した私は、一緒に卒業式に行く友達がゼロだった。
(留年前後の経緯はDOCOMOさんのサイトに記事化していただいたので、ご興味ある方はどうぞ!)
話を戻すと、高田荘の元住人でゼミの先輩でもある方が、私とキャンを含む後輩数名の卒業祝いを開いてくれることになった。大隈通りにある喫茶店「アララカララ」に行くと、キャンと、キャンの故郷・石垣島から卒業式を観にやってきたキャンのお父さんもなぜか同席していた。
キャンも今日で卒業なのだが、就職先は決まっておらずフリーになるそうだ。しかも、フリーとはフリーランスではなく、無職(ときどきバイト)を指すらしい。
「自由業じゃなくてリアルに自由になるんだよねー」とかなんとか、笑顔で話すキャンの軽やかさは理解不能だったものの、キャンとキャン父と学生最後の日を過ごせたご縁はうれしかった。「友達ゼロ人の卒業式」でささくれていた心の中に、キャンが占める面積が急速に広がった。
この日から、友達の友達から友達に格上げされたキャンと私は、ちょこちょこ飲むようになる。
キャンは自分の誕生会を自分で開催しちゃう男なので、8/15はほぼ毎年キャンの誕生パーティに出席していた。
キャン28歳の8/15、キャンの友達数人を集めて逗子の海でお祝いをすることになった。
そこに、Kくんというキャンの友達がいた。彼は、キャンの予備校時代の同級生で、早大入学後は平山荘でキャンとシェアハウスをした時期もあったそう。彼の話を聞いていると、学生時代のキャンの暮らしぶりが立体的に浮かび上がってきた。上京直後のキャンは夏になると石垣島時代の癖で街中でナチュラルに上裸になってしまっていた、とか。ちなみにこのエピソードは聞いた中では一番マシな部類である。
その半年後の春、キャンと飯田橋の鳥政という赤ちょうちんで飲んだ。そこに、海で会ったK君も合流した。私たちは(主に私が)飲んだくれて、終電を逃した勢いで歩いて早稲田に行くことにした。
まだ肌寒い4月の夜に、大隈講堂近くの地べたに座り込んでしゃべり明かした。ふたりは吉田拓郎が好きで、BGMに拓郎を流しながら始発まで3時間くらいを過ごした。
ふたりとの在学中の思い出は特にないけれど、聞けば似たような場所を歩いていて何度もすれ違っていた可能性が高そうだった。私も思い出がたくさんある神田川流域で、ふたりが学生時代に暮らしていたって、なんかいいなと思った。Kくんは、私がよく散歩した、神田川に合流する妙正寺川沿いに住んだ期間もあった。
「私たちの青春って、いつも川のそばだったんだね」と私が言うと、ふたりは「いいこと言う!」と喜んでくれた。特にキャンはこういうのが大好きなのだ。青春とか、思い出とか、そういうのが。
空が明るくなり始める頃、Kくんが長らく付き合った彼女と別れたばかりという話になった。
「私とKくんとどっちが先に恋人できるかな?競争しようよ!」と持ちかけると、キャンがこっちを見ながら、ほんのりドヤ顔でこう言った。
「同時じゃない?」
つまり、二人でくっつけば?ということか。
まさかの、キャンが恋のアシストをしようとしている!!急にどうした。
とは言え、まだKくんとの共通項は「キャンの友達であること」と「行きつけの川が同じ」のみだし、キャンのドヤ顔パスはスルーされ、何もなく始発ちょい過ぎの東西線で帰宅した。
翌朝。私は朝10時頃に本日2度目、5時間ぶりの東西線に乗り込んだ。
その車両に、なんだか見たことのある人が爆睡してた。明け方に別れたKくんだった。中野・西船橋間を3往復くらいしていた計算になる。どうかしてる。やっぱりキャンの友達はみんなこんな感じなんだろうか。
私はKくんを起こし、自分の二日酔い用に買ったグリーンダカラを授けて、乗換駅で電車を降りた。
それにしても、こんな偶然なかなかない。不意打ちゆえにドキドキしてしまった。
実は、Kくんは私の愛するエルビス・プレスリーと身長・体重・眉毛の太さがほぼ同じで、密かにかっこいいなとは思っていた。
もしかして、恋の神様がこいつにしとけって囁いてる?
その後Kくんと何度か会ううちに、知性、感性、生命力、そして体格と眉毛がやっぱり素敵だなと思い始めたので、鳥政にキャンを呼び出し恋愛相談することにした。
「あのときオススメしたの、なんで?」と同時発言の真意を尋ねると、キャンはこんなことを言ったと記憶している。
「Kは、懐が深いというか、器がでかいというか、みんなの精神的支柱みたいなやつでさ。すごくやさしいし、早稲女のえりなちゃんのことも全部受け止めてくれる男って感じがしてる。我がよき友よの”男らしいはやさしいことだと言ってくれ”の歌詞を聞くと、なんかKのこと思い出すんだよね」
やさしい、ってとても抽象的で幅のある言葉だけど、我がよき友よの歌詞を引用したキャンのKくん評を聞いたら、どんな類のやさしさを持つ人物なのかがすとんと理解できた気がした。
ちなみにこのとき、我がよき友よの「暑中見舞いが返って来たのは秋だった」の部分を聞くと必ずキャンの顔がよぎるんだよね(笑)と茶化そうと思ったものの、キャンがいつになく真剣な面持ちだったので言いそびれてしまった。
キャンの真剣な助言が功を奏したのか、程なくしてKくんと私は付き合うことになり、神田川の近くに一緒に住みはじめた。
ふたりで銭湯に行くといつも私が待たされたあたり、リアルに「神田川」な日々だった。
もし私が神田川の3番以降を作詞するなら、銭湯の前後に四文屋で食べたレバ塩串のおいしさ、妙正寺川沿いを二人で歩くのも楽しかったこと、ある夜帰宅したら眠るKくんの隣の布団が膨れていて「浮気か?!」とめくったらキャンがスヤスヤ寝ていた事件なども付け加えて歌いたい。
キャン、君が勝手に寝てたの私の布団だから。しかも枕もダイレクトに使われてて、翌日ブチキレながら丸洗いしたからね。次はないよ。
そうこうして数年が経った今年、私はKくんと結婚した。(それで慶野になりました)
まさか、人生の伴侶がキャンから出てくるなんて夢にも思わなかった。
ということはつまり、私の人生を語るときに、必ずキャンについても触れざるを得ない感じになってしまった。
キャンの友人と、キャンの誕生日にキャンの紹介で出会い、キャンがアシストしてきて…ああもうキャンの出番が多すぎる。
20代の日々を振り返ると、神田川に続き、かなりの場面でキャンが登場してしまう。なんなら、未だにキャンとその友達たちとつるんでる。
「こんなキャンまみれになるはずじゃなかった」感は否めないけど、青春時代を過ごした友人が、その後も自分の人生に準主役級で登場してくれるのは幸せなことかもしれない。
…ここまで書いてきて、心配になったことがある。
この文章から見えてくるキャンの人物像が、「街で上裸になる暑中見舞いを返さないドヤ顔無職野郎」になってしまった気がする。
もしキャンさんって素敵だなと思っている女の子がいて、これを読んで恋心が萎んでは困るので一応補足する。
まず近年は服をちゃんと着ている。無職ときどきバイト、出版社のアシスタント、人材広告の営業を経て、数年前に銀座でバーを経営する経営者になった。バー以外にも業務委託でコミュマネの仕事もしていて、ちゃんとビジネスパーソンとして活躍している。暑中見舞いが秋に返ってくる件もただの比喩なので、気にしないで大丈夫。
まあ未だに結構ゆるいやつではあり、再び歌謡曲に例えるならかまやつひろしの「どうにかなるさ」みたいな雰囲気なんだけど、このゆるさが彼のいいところだ。キャンは自分にも甘いけど、人に対する許容範囲も海のように広い。誰かに対して怒ったり恨んだり陰口を言ったり、ということが全然ないのだ。万人を受け入れるから、いつも自然と人が集まる。キャンの周りは平和で賑やかで、居心地がいい。
最後の数行で駆け込んだ感が出ちゃったけど、キャンの魅力が伝わったらうれしい。
もし、キャンに好きな人ができたら、その子と3人で飲もう。
キャンが心底いいやつであること、キャンのおかげで最良のパートナーに巡り合えたことなどを織り交ぜつつ、朝4時くらいになったタイミングで、今度は私が「同時じゃない?」をバシッと決めるから。
キャンの未来に幸あれ、これからもよろしく。
追伸。キャンへの誕生日プレゼントだから8月にアップしようと思ってたけど、もう10月だね。暑中見舞いが秋、を体現してたのは私の方でした。類は友を呼ぶ。
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今回はエッセイでしたが、普段は代表を務める「パラレルキャリア研究所」の活動として、働き方に関する記事を書いています。よろしければnoteのフォローをお願いします!
パラレルキャリア研究所代表 慶野英里名
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