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童話「約束」〜将来大人になるあなたへ④

4 三匹のハツカネズミ

 以前僕は一時期ですけど、奈良の大和郡山というところに住んでいたことがあるんですよ。関東に住んでいる人なら、福島県にも郡山という地名があるから、そちらを連想してしまうでしょうけど、奈良県の地名には大和が付いて正確に言えば大和郡山市なんですが、そこは郡山城という城跡があって、その周囲に城下町が発展して、今は商店街が近鉄きんてつ大和郡山駅周辺に広がっている感じで、花見のシーズンには城跡を中心にして桜が咲き乱れ、観光に訪れた人々を楽しませています。

 金魚の町といった方が知れ渡っているから、そちらを直ぐに連想する人がいるかも知れませんね。急行であれば、近鉄橿原かしはら線の「大和郡山」の次の駅は「平端ひらはた」でそこから徒歩15分くらい。そこに住んでいたのはだいたい3年くらでした。3K(ダイニングとキッチン、居間と寝室)の部屋があるまだ出来たばかりのハイツに奈良市のあやめ池というところから転居したのでした。

「あやめ池」も近鉄(=近畿日本鉄道)の駅名になっていて、当時は遊園地で有名でしたが今はそこには学校が立っています。あちらこちらにあった遊園地が閉鎖していくというのは、活気が無くなって街がさびれていくということなのでしょうか。その大和郡山に建ったばかりのハイツのすぐそばに昭和小学校があって、平成元年生まれの息子がそこに通い初めていました。娘はまだ幼稚園に入れる年齢には達していませんでした。ハイツは有名な食品会社の工場のそばでもあったから、いつもカレーの匂いがしていたのだけれど、その食品会社になぜか今僕は勤めています。といっても警備会社からの派遣といった仕事で、仕事の時はいつも正門前の保安室というところに詰めているんです。そのハイツに住んでいた頃のことでした。

 ある休日の朝僕はまだ寝室の中におり、起きたばかりでゆっくりしていたんです。普段は大阪で公務員の仕事をしていた頃でした。

 一人布団の中にいて、そろそろ布団ふとんたたんで押し入れの中におさめようかというところで布団の上で座っていたのでした。しばらくぼーっとしていて、呆気あっけに取られて目が点になりつつその光景を僕は一人見続けていました。それらは、僕が今寝ていたばかりの布団のすみで丁度、ふすまとの間の狭い「通路」を移動している3匹のハツカネズミだったのでした。灰色のネズミは見たことがあっても真っ白なハツカネズミは見たことはないし、それも3匹仲良く揃って行列を作って移動しているシーンは初めて見る光景だったので、ずっとその不思議な光景に見惚みとれてしまったというか、しばらく何も出来ずにいたのでした。

 あとでそれを妻や家族に伝えたかと思いますが、よく憶えてはいません。あれからもう28年ほどが経っているけれど、それなのにその光景は忘れるどころか、記憶の片隅に残っているというだけで脳裏のうりに消えずにあり、時々僕に問いかけているような気がするのです。

 つまりなぜハツカネズミは、3匹だったのかということ。その光景を見てから僕は10年後離婚して、僕以外の家族は3人になってしまいました。僕は独りになり、母と実家に住むことになりました。私の父はもうほとんど市立病院で入院していて死ぬまで帰って来ませんでしたが、3人と言えなくもないです。

 もしも大和郡山という街にそのまま住んでいれば、二世帯のための無駄な増改築を実家でせずに、離婚もしなかったかも知れません。僕と妻が元々両親のいる実家で暮らし始め、どこにでもある親と嫁との間の宗教も交えた確執かくしつがあり実家を離れることになったのでしたが、生まれた長男が成長するにつれて、少しは実家に近い方が良いかと、いずれ吸い寄せられるように実家に戻ったのでしたが、それは誤りだったのではないかと戻った後にずっとそんな思いがしていました。

 父親が亡くなった7年後に息子を迎え入れましたから、そこでまた家族は3人になりました。ただ僕が今こだわるようにハツカネズミのことを思い出すのは、もっと別の意味があると思うからです。あなたは、最初のところで僕が奇蹟を信じているいみたいなことを言ったのを覚えていると思いますが、ひょっとしてそのハツカネズミも何かを予言しているのではないかと最近思い始めたのです。

 だって普段はとうに忘れているとはいえ、あまりに不思議な出来事だったのですから。

 ただ予言という言葉を僕が使ったって、ロシアがウクライナに侵略したように、世界を変える力はありません、残念ながら。ただ言えることは、もし三十五と会えるなら、彼女と何か共通したテーマを表現して世界中の人々に感銘を与えることなら、ひょっとして出来るかもしれないと大それたことを考えたりします。

 例えばウクライナはかつてチェルノブイリという原子力発電所で事故が起きて数千人の人々が亡くなったと言われています。正確な数字は分かりません。それは中国で地震が起きても正確な被災者を特定するのが困難なように。チェルノブイリの事故の際には日本にも風で放射能が運ばれ放射能の雨が降ったと言われていますが、僕らが小学生の時には帽子をかぶれ、そうじゃないと放射能にやられるぞとよく言われました。それは僕らが生まれた時に「第五福竜丸」という漁船がアメリカの核実験で被曝ひばくしたということがあったからです。ご承知のように日本にも東日本大震災が発生して、福島第一原子力発電所の事故が起きました。津波があってまだ生存者が不明な行方不明者も含めると二万二千人以上の人々が犠牲になりました。

 ウクライナと日本には共通点があります。もしもひまわりの種が風に乗って日本にやって来て、日本の土に根ざしたら、日本にも大輪のひまわりが咲くだろうなあ、なんて空想したことがあります。

 僕は信仰を熱心になってやる人ではないのですが、「前世ぜんせい」というものを信じています。ごく素直に信じているのです。今あなたが生きているのは、現世げんせいと呼ばれるところです。この現世で三十五は僕にとって切り離せない存在だと思います。突如僕の前に現れた存在であるのに、何か特別の間柄だと思えるほどです。具体的には過去のことは分からないのですが、前世で彼女が姉なら僕が弟ではなかったかと考えたことがあります。ずっと僕の方が年上なのに、メールでよく「今何してるの?今日は釣りに行かなかったの?」と聞いたりしていました。それはきっと彼女は自分が姉のような存在でいて、弟の僕に話しかけているのではないか、そんなことを思ったりしたのです。

 占いなんかでも、情報もないのにすごく言い当てる人がいます。人には見えない何かが見えているとしか思えないような人がこの世にはいるものだと感じます。非科学的なことはつつしまなければいけないのだけれど、実際に予言したり、その人のことをよく知らないのに言い当てたりする人がいるのは不思議です。それでも疑っている人もいますが、僕はUFOはいると信じる者の一人ですので、まだまだ世の中には自分が知らないことがいっぱいあって、それらを死ぬまでにどれだけ吸収できるかで人間の幅が大きくなると思っております。だって銀河系宇宙の中の、地球(世界)の中の、日本の中のちっぽけな自分という者を逆に宇宙に向けて想像したら、その銀河系の外にも大きな宇宙があって、なんて想像すら出来ないことでしょう。自分が知っていることなんてほんの一握りのことで、まだまだ世界には自分の知らないことがいっぱいあるのですからね。

 さっきの話の続きで言えば、最近息子がメタボで痛風つうふうになり、あれから10年経ったというタイミングで母親の住むところに帰って行きました。彼も思うところがあるようです。そろそろ誰かがやって来るのかも知れません。


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