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先入観を持たれるのは止められないけど、「自分は自分」と思うことでバイアスに立ち向かおう

全てのことを知ってから意思決定したい。

そう思うことが多いからいろいろな調べ事をしてから判断をしている。何も考えずに自分の心だけを信じて意思決定できればいいがなかなかそうもいかないので、ぼくらは意思決定をする前に色々と悩んだり、出来る限り調べたりする。

何か買い物をする時、特に経済的なインパクトが大きいものの場合はそのもの自身についても調べたり、評価を調べたり。就職や転職でも企業を調べたり、進学するときもどういった先に進学をすればいいのかを調べたり。

会社でも意思決定をするときに他社事例を調べたり学術的な研究や市場調査をしたり。とにかくぼくらは自分が知っている範囲をなるべく広げてから意思決定をしたいと思うのも、僕らが認知できる範囲に限りがあるというところから来ている。

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ぼくらは収集して記憶した情報をもとに意思決定をしているけど、認知でいる範囲には限界があるので自分が優先すべき「フィルター」というのをひとそれぞれ持っている。ぼくたちはそのフィルターをとおして「自分たちが優先すべき情報を選んで」意思決定しているといえる。

よくあるのが何か会社でプレゼンをしたいときや意見を通したいとき。「他社ではこうだ」とか「世の中はこうなっていく」だとか、そういった論拠を並べて自分の意見の正当性を訴えるための根拠になることをいう必要がある時がある。

こういったときには自分の意見に都合がいい情報を集めていることが多い。もうちょっと考えると、「反論されることを見越して」反対意見についても事前に調査しておいて、それに対するカウンターパンチも用意して、それでもなお、自分の意見が正しいということをいえるようになればある程度一人前になれるレベルといった感じで、反対意見も取捨選択して情報を集めていたりする

このようにぼくらが「じぶんのフィルター」を通して情報を取捨選択しているというのは悪いことではなくて、生きていく上で必要な能力と言える。性格的にぼくのように割と調べまくらないと動けない人と、あまり調べなくても動ける人というのはそれぞれ一長一短あるのでどちらが優れているということではないが、どういった情報があればその人が動けるかというのは個人差もあったりする。

ぼくらはそんな人ぞれぞれもっているフィルター機能があることで脳が過剰な情報でショートしないで済んでいるわけだが、一方でバイアス(先入観)がどうしても生まれやすいので、そういった欠陥についても理解しておくと冷静な判断ができたり、争い事や揉め事や社内でトラブルや問題が起きたときに解決しやすくなる。

今日はそんなぼくたち全員が機能として備わっている「情報フィルター」という機能がもつ欠陥についてどういったものがあるのかということを簡単に整理しておこうと思って書かせていただく。以下に書くことは認知バイアスに関することなのでよく知っているという方には内容が浅いかもしれないのでご容赦ください。

1)ハロー効果バイアス

Helloではなくhalo(後光)。ぼくらが製品やサービスを評価するときにその物自体の機能やサービスについてうくぁしく分析せず、そのものを提供している人やブランドのもつ特徴だけが印象に残ってしまい、
良い評価や悪い評価を与えてしまうというバイアス。

例えば東大卒ときいただけでその会社の評価をあげがちだったり、有名なモデルがやっている美容サロンというとそのモデルの雰囲気で良い印象をもってしまうような類のバイアスといえる。なんとなくスポーツができるというといろいろ万能に迅速な対応をしてくれそうなイメージをもったりしてしまうのも、このバイアスがかかっているからといえる。

イメージ戦略やブランディングと深い関係があるのでこういった人間がバイアスにかかる特徴を生かしたビジネスや戦略というのもあるが、いくらそういったものをあげたとしても肝心のサービスや製品がよくないと長続きしないのであまりテクニックに走ると危険だということは認識しておく必要がある。

2)利用可能性バイアス

これはどんなバイアスかというと、人間はじぶんが「理解しやすい、使いやすい情報」というのを優先して引き出してそれに頼って意思決定をしてしまうというバイアス。記憶に留めているいくつかの情報があったとして、その中でも簡単なものからひきだしてそれをもとに意思決定してしまうとおいう傾向があるということだ。

例えば、インパクトが強い記憶や情報。たとえばコマーシャルだったり、大きな実験。飛行機に乗る前に悲惨な飛行機事故を思い出してしまい事故が起きる確立や気候変動など難しい情報よりも選択的にそういったインパクトのある情報を選んで必要以上に怖くなってしまったりするのもこういったバイアスが影響している。

他にもたとえば記憶の中で即座に使いやすい情報といえば、いつも買っている同じものを買ってしまうというのも一つ。考えなくて済むので、それが自分に適切かどうかとかいろいろ総合的に考える前に、めんどくさいからいつものを買うかとなるのもこういった
バイアスが影響している。

インパクトが強いものといえば、たとえば具体的な人から「あの製品買ったけどよかった」という情報を聞くと、そのものがとてもよいものに思えてしまうのも一つの例としてよくあることだ。自分で調べもせず、相手もじぶんの先入観や自己を正当化したいという心理からいっているかもしれないのにん、なんとなくネットの情報よりも身近な人がいっていることを優先的に重視してしまう傾向があったりする。

3)帰属の誤りバイアス

これは本来何か起きた原因が実は違うことに起因していてもイメージで別の原因がその問題を起こしたと考えてしまうバイアス。

これはよく「あの問題が起きたのは誰々のせいだ」としているような場面によく見受けられる。実際にはその人が影響していることではないことであっても、なんかその人が関与したことでミスがおきたりする場合、その人のせいでその問題がおきたということを考えてしまうのもこういった
バイアスがかかっているからといえる。

4)代表性バイアス

これは誰もがステレオタイプを中心に相手のことをイメージしてしまうということで、一番身近なバイアスかもしれない。関西人だから面白いとか、日本人だから大人しいとか、帰国子女だから空気読めないとか、そういったことを代表制バイアスと読んでいる。

誰しもこういった相手がもっているバイアスの中で生活をしているし、相手がもっているイメージというのは最初からフラットに見てくれるわけがないというところから人間関係をスタートしている。よくいう「ギャップがある」というのもこのようにバイアスとのギャップがあるということで、「よいギャップ」は好印象になったり、好きになってしまうようなことがあったりするかもしれない。その逆もまたあって、よい印象だったのに話してみたら最悪といったことも起きる

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こうかんがえると、ぼくらはバイアスなしの世界で生きることは不可能に思えてくる。本当の自分を誰もわかってくれないということを思いがちなときというのは年代だったり、じぶんの精神状態次第では思うことはあるものだが、人それぞれバイアスをもっている以上は伝えないとわかってくれないという前提を意識できるかが大きかったりする。

相手に伝えてもいないのにわかってもらおうとすることは諦めて、なんとか伝えられるように心がけたいものだ。

ぼくは外国人がもっている意見を言わないおとなしいイメージがあるせいか、意見をいうだけで「あなたは日本人なのに何を考えているかわかる」と言われたり、「日本人なのに毎日上司と飲んでカラオケいったりしないの?」とか言われたりすることもあったりするので、実に多くのバイアスに毎日でくわす。ちょっと海外生活が長かったというだけで、「あいつはガイコクジン的」というようなこといわれることもあるが、そんなことは気にしていられなかったりする。

少なくとも人それぞれバイアスがあるのだから、「自分はじぶん」と強くおもって、頭の中で弱気な自分が顔を出したらそれを必死に振り払って気を確かにもっていたいと思う。

結構辛いけど、そうするしかない。気にしないというのはぼくには無理。どうしてもいろいろなバイアスをもって見られていることを気にしてしまって自分を出せなくなってしまう。それでもモクモクとそういった気持ちが起きてきたらじぶんの手でその雲を追い払うような姿をイメージして「自分はじぶん」と強く念じるようにしている。

今日も雲追い払い、自分らしくみなさんがいられますように。

Keiky.

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