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母を想う

昨年8月に母を亡くし、少し早いが来月に一周忌を行うと父から連絡があったのは昨日のことだった。

まだ一年は経っていないけれど、時折母を思い出すことがあったのは自分でも意外に思うことだった。

母が亡くなった時に書いたことだけど、私は母とは特に仲が良かった訳ではない。

家族として一緒に暮らしていた頃は、衝突することが多かったように思う。

私の外見は母方だが、中身は母方ではなかった。

いや、今思うと同じだったからこそ衝突に至ったのかもしれない。

同棲を決めて実家を出た後は、たまに会うくらいなので衝突しそうになってもすぐに離れるし

むしろ離れれば相手を気遣う気持ちも芽生えるものである。

母の日はいつも何かしら贈っていた。

母が亡くなってから、初めての母の日がやってくる。

どこを見ても母の日ギフトの訴求がなされ、否が応でも意識しだすのだ。

私はプレゼント魔である。

何かを欲していると感じるとその人に何か買っていこうと思うし

誕生日が近づけば何か似合うものを選んで渡す。

母の好きなものを知っているからこそ、渡せるプレゼントがあって

逆にはっきりバッサリと人の意見を切る母だったからこそ

その時に欲しくなかったら人のプレゼントにケチをつけることもあった。

きっとそれは娘に対してだけではなく、いろんな人に対して同じだったと思う。

いい意味では裏表のない人、悪い意味ではわがままで気分屋な人。

よくそんな性質で子を産み育て、周りに順応したと感心する。

昔は「子供が子供を産んで」と批判するほど社会が進んでいなかったせいもあるかもしれない。

女は適齢期になれば、結婚し子を産むのが定説だった。

今の時代に当てはめれば、母は結婚なんかできた人間ではなかった。

まあ、それでも若い頃は小悪魔的な魅力があったのだろう。

顔だって悪くはなかったはずだ。

私自身、母の温もりの思い出は3歳の頃から覚えている。

雨の日に母に背負われ、差した傘に打たれる雨音を覚えている。

そのおかげで今も雨が降れば幌に当たる雨音が癒しに感じる。

幼稚園から帰ってから、母の長い髪を編んで遊んだことも、

お絵描きで下手くそなティーカップを描いてもらったこともいい思い出。

それを上回る悪い思い出もたくさんあるが、今ではどうってことはない。

悔しいことだけど・・・人が亡くなるっていうことは、

そんなことはどうでもいいと帳消しになってしまうことでもある。

たまに母を思い出してしまうことについて、自分では認めたくなかった。

私の会社の部長は、部のみんなを大事にしてくれる。

会社でのことも、プライベートのことでも、談笑したり相談に乗ったり。

年明けの個人面談の際に、その後調子はどうなの?と問われて、

「母のことを仲良くなかったのに、時折思い出して気持ちが落ち込みます」と伝えると

「それはね、単純に寂しいってことなんだよ。

そういう時はお墓なり仏壇にお参りして「寂しいよ」って伝えてあげればいいんだよ」

と言われて、ドキッとしたことを覚えている。

母に会いたくて寂しいなんて思うことが涙の引き金になるとは思わなかった。

家を出る時に二度と一緒に住むもんかと思った割に、

また会いたいと思う自分がいるのが許せなかった。

故人を想うとき、その人の頭上には花が降ると聞いた。

今、天国にいる母の頭上には花が降っているだろうか。

今年の母の日は、仏花ではなく花束を贈ろうかと想う。

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