【2】小学2年生の入院体験談
実は、入院生活は、ほとんどが楽しかった。
子ども病棟は明るいし、友達もできた。
高校生のお姉さんにアルファベットを教えてもらったり、
ボランティアのおじいさんが、いろんな動物の名前を教えてくれて、お気に入りの動物の写真をくれた。
お母さんとはビーズやトランプをして、
おんなじ部屋の子とは、消灯後も、コソコソ話をした。(見回りにくる看護師さんに、早く寝なさいと怒られるのも楽しかった。)
この看護師さんは優しい、この看護師さんは怖い、このお医者さんは面白いとか、みんなにあだ名をつけたりして病院のスタッフさんのことも覚えてた。
安静にしなきゃいけなくて、歩いたらダメ!ってなった時も、車椅子でアルプスの少女ハイジの「クララ」になった気分で外の景色を眺めてた。
採血は嫌だったけど、頑張ったらキティちゃんのボールペンをもらう約束をして、看護師さん達の私物のボールペンをコレクションしてた(笑)
入院生活でキツかったのは、後に入院してきた子が先に退院していくこと。
「私はいつ退院できるのかな」って思うの。
他にも、
お母さんと先生のコソコソ話。お母さんの悲しい顔。1人で寂しい夜。
まずい薬(ステロイド)。そのせいで膨らむ顔。(ステロイドの副作用で顔はパンパンだった。)
学校のみんなに取り残されているかなっていう不安。
でもそれくらい。
辛かったことより、楽しかったことの方が、鮮明に覚えている。
私の場合は、長い入院生活のおかげで性格が180度変わって
「人見知りで引っ込みじあんな子」から、「心底明るくて人懐っこい子」になった。
今思うと、むしろ明るくしていないと、悲しくて、不安でしょうがなかったんだろう。(みんなに心配をかけまいと、辛い時も作り笑いして笑っていることも身につけてしまったんだけど。)
「私死ぬのかな?」って子どもながらに思ったりして、退院したら毎日後悔しない日々を送ろうって心底思ってた。
この病気と入院生活がなければ、私の人生はどうなっていたんんだろうと思う。
入院前の性格では、絶対選択肢になかった、運営委員会(生徒会)なんてものに立候補して、小学生生活は朝の挨拶運動やアルミ缶集め、企画などでとても充実していた。
中学では保健委員長になり、高校ではチアリーダーなんてやってみたりして。看護師になるっていう夢までできて、叶えちゃった。
そして今も、夢の途中。
だから私は、病気も大事な自分の一部で、
“病気に出逢えたことにも感謝するスタイル。だって普通の日々がこんなにも幸せで感謝に溢れている”
って言い続けているし、心からそう思っている。
病気で戦っている子どもとそのお母さん(お父さん)、病気と付き合い、向き合う全ての人々にエールを込めて。
KEIKO