生きているということ

ボクは学校を卒業してから就職をして、ずーっと働いている。
特別なことではなくて世の中のサラリーマンはほとんどがそうだと思う。
そんな日本のサラリーマンなボクが3ヶ月働いていない期間があった。
前職をやめて今の会社に転職するまでの期間がそれだ。

今から15年前の2007年3月末をもって高校を卒業してから働いていた電機メーカーを辞めた。
自分が使っていたラジオ付きウォークマンを、自身の手で作りたい。
そんな安直な思いで入社した。

90年代は国内で製造していたポータブルオーディオも2000年代からはマレーシアや中国に製造拠点が移って行った。
国内の工場は次第に仕事が減っていった。
その頃は製造現場から間接部門に異動していたため所属している部署は忙しいままだった。
入社時に苦楽をともにした製造現場の先輩や仲間たちが会社都合でやめていく中で、会社に居残って、慣れない英語のメールを読みながら数字あわせをする仕事内容に違和感を覚え始めていた。

そんな中職場が閉鎖、品川本社に統合することとなった。
そのタイミングで間接部門に所属していたボクにもセカンドキャリアプランを行使する権利が回ってきた。

その時点で一緒に働いている仲間や上司とは非常に良い関係であったが、抱えていた違和感を拭うことが出来ず、このタイミングで会社を辞めた。

4月。ずっと働き続けていたので再就職は焦らずに行こうと思っていた。
まだ散っていない桜を見ながら散歩をしたり、テレビを見たり本を読んだり子どもと遊んだりしながら、働かなくていい時間を満喫していた。
一日ってこんなに長かったんだなー、とつくづく思った。

ひと月もすると持て余した時間をどうするかを考え、考えているだけで長い一日を消費することが続いた。
なんの生産性もない時間を過ごすことが苦痛になってきた。

5月も終わりにかかる頃、働いていないことが不安になってきた。
何もしていないのに世の中は回っていることに気付き、自分の存在意義がないんじゃないかと考えるようになった。

ボクはなんのために生きているんだろう、と考えるようになった。
自分が何をしたいのか分かっていないことに気付いた。
そんなことを考える時間が、ただただ怖かった。

ボクは半ば慌てて就活に明け暮れた。
片っ端から会社説明に行った。
なにせ、コレと言ってしたいことが無いのだ。
無理矢理に志望動機を探す。
今まで携わってきた電化製品は贅沢品だ。無くても生きていける。
ないとダメなものはなにか、海外展開できないものはなにか考えた。それが「食」だった。

こうして今は飲食業界に携わっている。
はっきり言って給料は良くない。
機械いじりが好きなボクの得意分野とも異なる業界だ。

それでもやりがいは感じている。
どうやらボクは金のためというより仕事で携わった人の役に立つのが好きなんだと思う。
振り返ってみて改めてそうわかった。

わかったところで、ボクはボクの目の前の人が幸せになるように、その人がより良くなるために頑張ろうと思う。

それがボクの生きている理由だから。


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