見出し画像

「この民主主義を守ろうという方法によってはこの民主主義を守ることはできない―丸山眞男とデモスの力能」酒井隆史

この記事は雑誌「世界」(戦後民主主義に賭ける)11月号に掲載されたものである。

「「戦後民主主義」という語彙が、論争的・抗争的性格を弱めていくにつれ、より正確に言えば、「戦後民主主義」を左から批判する流れが退潮するにつれ、いささか奇妙な転倒が起きてきたような気もしている。つまり、「デモクラシー」の「実現」ではなく「戦後民主主義」の「保全」という意識への転倒である。」

「丸山(眞男)のいうように、デモクラシーの原則に照合させるならば、そもそも現在デモクラシーとされるものがはたしてデモクラシーなのか、という問い返しがあって当然だ。ところが、代議制そのものの批判も小選挙区制すらもほとんど疑義にふされることなく、現行選挙制度での政党の動き、選挙の結果、投票への参加などによってデモクラシーの度合いが測定されるようになった。・・・そうなると、選挙に参加しないのは意識の欠如、あるいはデモクラシーの放棄ということになる。しかし、丸山の議論からすれば、現在の代表制が民衆の民衆による自己統治というデモクラシーの原則からしてデモクラシーに値しないという見解、参加しないことがデモクラシーの擁護であるとする見解があってもおかしくないはずだ。」

これについては、そのような見解はおかしくないけれど、私は参加しないことからもう一歩踏み込んでそれならばどのような選挙制度ならば参加に値するのかを考え変えていこうとするムーブメントにしていかなければ、現行の選挙制度で支配している者たちが支配を強めるだけなのではないか、と思う。

「ここでひとつ考えるに値する事例がある。大阪における都構想の住民投票である。 ・・・大阪での異様にすらみえる維新の会支配はよく知られているだろう。・・・そのような「オーウェル的」大阪で、維新が全体重をかけた政策が二度も否決されたのである。 ・・・この時期、大阪では住民たちはあらゆる場所でこの問題を話題にし、手製のビラがさかんにまかれ、投票当日までおもいおもいのデモがくり返されていた。維新がメディアを制圧するなか、そうした手製や口コミの情報がさまざまに拡散され、人はそれをもって人と対話し判断したのである。つまりここで住民は、だれに支配されるか選ぶのではなく、この問題をじぶんたちはどうしたいのかを考えた。・・・それが意味しているのは、現行の制度化されたデモクラシーが、民衆の自己統治という意味でのデモクラシーとは無縁のものであること、デモクラシーの根幹をなす自由な意見の表明、公開された情報をふまえた討議、そして合意形成の過程とはほとんど関係ないということだ」。

ここで、大阪の例をひいて現行の選挙制度では維新は強いが、住民たちの選択は支配者である維新とは異なりそれを覆す力を持ち得たということから、現行の選挙制度への批判がなされる。このことは興味深い例だ。
この大阪の住民投票運動は「自由のための暴力」という本の中でエチオピア革命の成功を導いた民衆の活動が紹介されていて、民衆の口コミやビラで蜂起したという話を思い出させる。

「民主主義は永久革命であるという丸山の発想は、基本的にはこのデモスの解体的力能に基礎をおいている。それが凝固し制度化されるのも必然ではあるが、しかしそれも溶解させる力能を基盤としてしかありえない。したがってなによりも先立たねばならないのは、デモクラシーという理念が促進させるこの状況化の力能なのだ」。

「秩序に対して別の秩序をおきかえようというのではない。別の秩序が生み出されねばならず、どんな出来合いの「別」をもってきても現秩序の補完物になってしまう。とすれば、秩序を深く深く相対化する混沌の状況をできるだけ引きのばして、もっとも時代の深い底からまったく異質な秩序が発酵してくるのを待たねばならない。それに耐えられない者はみな党派に走り、出来合いの普遍性を手にいれた。全共闘はしばらく耐えた。全共闘は混沌派なのだ」(津村喬「異化する身体の経験」『全共闘 ― 持続と転形』1980年)

丸山はこういっている。「制度化された度合いに比例して状況化がなくなるし、状況化するということはアナーキー化するということですから、つまり制度が溶解していくわけです。完全にアナーキーになっちゃうと、大学紛争のある局面のように、全部がハプニングになるんです。制度がゼロですから、明日何が起こるか分からない。全然予測がつかないでしょ。そうするとエライことになっちゃうんですよ、お互いの不信感ばかり募って」

「ここで大学内に不信とそれによる分断が生じたのには必然的な理由がある。そしてその分断をたんなる相互不信ではなく、津村のような人たちは真に信頼に値するものを再構築するプロセスとして経験した。丸山が述べていないのはこの点である」。

ここで津村喬が述べていることは、一見古い体制を壊して新しい秩序を構築しようということのようにも聞こえるが、丸山眞男との差異で酒井氏が触れたように再構築するプロセスとして新たな秩序の胎動を待ち、促すということなのだと思う。それは、成田悠輔氏のスクラップ&ビルドの手法では丸山眞男の言うとおりになるか、若しくは全体主義的になることを意味すると思う。そうではなく、今見えない底にある希望の胎動である新しい秩序によるデモクラシーを探り、護り、育てていくことが必要だと思うのだ。

津村喬の「時代の奥底に潜む新たな秩序」は、それが幽かな姿しか見えなかったため民衆に語り、共感を得て、大きなうねりを作り出せなかったことが成功しなかった原因かと思う。今現在、奥底に潜む新たなデモクラシーの秩序は息づいているのだろうか。まだ私には見えない。

「みてきたように、現在「戦後民主主義」が擁護されるさいに脱落しがちであるのは、この(鶴見俊輔のいう)「期待の地平」である」。

「丸山が、高度成長以降をひとしなみにデモクラシーの制度化とみて軽くみるのに対し、おそらくみずからの足のむくところでデモクラシーの状況化に遭遇し、ときにはその動きを促進した媒介者であった鶴見は、どれほど「甘く」みえようとも、人びとの日常的実践のうちに、ねばりづよくその萌芽をみいだそうとした」。

「もし戦後にかいまみえたなにがしかの可能性を守りたいのならば、期待の次元に立ち、制度を溶解させ、さらにそれにとどまらず、それをその理念に立ち返りつつ、制度を再創造するプロセスに参与するしかない。敗戦直後とおなじように、「守る」べき実質などなにもないところから、ありうべきデモクラシーの創出する契機に立つことでしか、デモクラシーは救われない。つまり、もはや制度の次元でしかつかまれないとしたら、「戦後民主主義」は、やはり否定されるべきなのだ」。

「・・・敗戦直後だけではなく、さまざまな局面で人びとがデモスによる自己支配をもとめ、未来を期待した地平に立って、予断なしに見回してみたらどうだろう。そうするとデモクラシーは、ヨーロッパやヨーロッパナイズされた先進国の独占物ではないどころか、それ以外の場所でこそ苦闘とともに生き生きと再創造の試みの渦中にある現実がみえてくるだろう。つまり、世界はデモクラシーの危機にあるどころではない。危機であるのは、それに対応できないまま凍結しつつある国家のほうなのだ」。

これは、アナーキーな結論なのか、それともデモクラシーの再創造による自己支配の新たな秩序を予感したものなのか、私には見通せない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?