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浄化しなければならないものはない。浄化が足りないからスッキリしないのではない。人は穢れない。
私は昔、一生懸命「浄化しよう」と思っていた時期がありました。
何か清浄な状態になってスッキリしたいという想いがかなりありました。
何しろいつも目の前に薄モヤがかかっていてどうにも気分がスッキリしなかったからです。
なんとなく浄化というものをすればスッキリするんだろうと思ってた。
だからやたらと自然に入りに行っていました。
自然の中に入ると誰だって気持ちがいいし、今も大好きです。
都会的で人が多いところはたまに行くと楽しいけど基本的には苦手なタイプです。
でもそれにしたって自然に行っていました。
ものすごく行きたい時期があった。
森に入って清浄な川を眺めるとなんとも気分がよくなるし。
きらめく砂浜で波打ち際を裸足で歩けばとても気持ちがいいし。
行くと「これで浄化されたわ〜」という気分になったものです。
セージを焚いて部屋を回り、煙で空間を浄化もしてました。
神道で教わった「正式な配合」で、清酒と粗塩を混ぜてそれで床を拭き上げたりもしていました。
クリスタルを握ったりもしてみた。
祓えの祝詞だって上げてた。
祓いたまえ清めたまえ、祓いたまえ清めたまえ…!
要するにはスッキリ、さっぱりした心持ちでいるための手段のひとつが浄化だった。
きっとこれだけやれば大丈夫だろう。
きっと清められただろう。
何か悪いものがまとわりついてるなら、浄化してきれいにしないとって。
そしたらスッキリするはず、と。
今も自然は好きだけど、昔ほど行かなくなった。
電線だらけの近所の道でも空は充分キレイで高い。
ブラーバが床を拭いてもめっちゃスッキリ清潔になります。
窓を開けて換気するだけでも充分で、単にお線香の香りが好きだからたまーに立てます。
クリスタルはもうない。
祝詞も全く用事がない。
※祝詞を邪険にするということではない
穢れてるからとか浄化が足りないからスッキリしないんじゃなかった。
ただ認識に歪みがあるだけだったし、アダルトチルドレンなだけだった。
単に生きづらさを抱えていただけで、穢れていたわけではない。
というか、人が穢れることなんて、ない。
穢れる対象がないから穢れようがない。
穢れるものがあるという「概念」があるだけです。
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どうもしません。