
自叙伝⑭憑き物が落ちた日
とはいえ本当に死にたいのとは違う。
心肺停止まで経験したことがあって、あの世にタッチして帰ってきた身の癖に感謝こそすれ死にたいなどとよくも思えたものだと思うが、未熟な私は成功したことで逆にそう感じてしまうほど命が渇いた気がしていました。
どうしたらいいかと途方に暮れつつ、これ以上頑張るのはあきらかに違うし
無理だしどうしたものかと思いあぐねた。
どうしたらいいかわらなすぎて居てもたってもいられず、ソワソワして家の中をウロウロしたりしてついに頭がおかしくなったかと思いました。
そんな中、初めて悟りというものに注目をすることになりました。
これまでは自己啓発やスピリチュアルばかりに注目していたし、悟りだなんて高尚なもの、自分に関係があると思えな過ぎてひっかかるところがなかったのだと思います。
その中で一人のコーチと出会い、「この人だ」と感じてコーチングを受けることにしました。
これが人生を変えるほどの大きな内的変革をもたらしました。
このコーチは入り口を悟り的なものにしているのですが、実際の内容はかなり脳科学に基づいていました。
これまで自己啓発的な方法論とか気持ちを優先した感情論やスピリチュアルな形而上学的なものにしか触れたことがなかったけど、人間の稼働のメカニズムの事実に基づいた学習は私の目をどんどん覚ましていきました。
一ミリもふわっとしてないそれは最初は難しく感じたし、自分が信じてきたほとんどのものと相いれなかったので抵抗も感じました。
そして私は自分が何も知らないんだということを痛感し、初めて無知の知を体感することになりました。
この学びにはものすごい効果がありました。
むちゃくちゃ端的に言うと機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンの私の認知はとんでもなく歪んでいたのであって、それを矯正しました。
自分の当たり前は自分で疑うことが出来ないためどこがおかしいかわかっていなかったけど、生きづらいからなんかおかしいとは思っていて、それがなんでだか次々と明るみに出る感じがありました。
簡単に書くと私は自己防衛のかたまりだったってことです。
モンスターのような母との関係では私は生き延びるために戦うとか頑張るとか人に気を使うとか顔色を伺うとか何者かになろうとするとか、そんなことしかしてこなかったのです。
ナチュラルに生きるなんてこと知らなかったんだもの、知る機会がなかった。

私にとって世界は危険なところで人は怖いものだから、自分を守っていなければ生き延びられないと深いところでは信じていたし、だから人に甘えたり頼ったり素直に弱いところを見せたりできるはずもなかった。
だってもし頼ったり甘えたりして拒絶されたら私はまた傷ついてしまう。
いつだって甘えさせてくれるどころか襲い掛かってきたあの母のように誰かにされたら、またトラウマを抱えなけばいけないから。
そんな恐ろしいこと、できるはずもなかったのだと、そしてそれらのすべてに全く気が付いていない自分は、ただの気性の荒い頑張り屋さんなのだと思い込んでいたのでした。
よく「頑張らない方がうまくいく」とかいうけど頑張る以外したことがない私はどうやったら頑張らずに生きていけるのかわからなかったし、結局は「なんやかんやきれいごと言うても自分の人生、好きなように理想のライフスタイル叶えてナンボやろがい!」「勝負して勝ち進んでナンボや!」などと思っていました。
なぜそんなに勝ちたいのか、一体何と戦っているのか、なぜそんなに肩ひじをはらないとならないのか、そういう根本的なことを考えたことがなかったのです。
「それでしかない」と、短絡的かつ盲目的に思っていたということでもあるし、それ以外に幸せになる方法を私は知らずにきてしまったのでした。
とにかくそんなようなことをいろいろと気が付くようになりました。
なるほど、愛着障害によるアダルトチルドレンの状態というのは、前頭前野の発達不全で「自分で考える」という思考力が育っていなく、私の扁桃体はたいてい常に過活動していて、だからすぐに不安になるのだなーとか、主体的に生きているつもりでもすべてを受動的に受け止めて反射と反応だけで生きているのだなーとか、依存というものがどこからきているのかとか、他にも書ききれないほどたくさんのことにだんだんと気が付いていきました。
人間の稼働メカニズムを知っていく中で、一生背負っていくのかと思っていた母との確執が終わった瞬間がありました。
これは私にとってはとてつもなく大きなことでした。
これまでだって幾度となく様々なカウンセリングやヒーリングやセラピーや心理学、スピリチュアルも神道も含めてたくさんのものを受けたり学んだりしました。
怪しげなものから最もらしいものまで、本当にいろいろやってみました。
そのどれもが根本的な解決には至らなかったので、この学習は大変な経験でした。
自分の状態を客観的に見られるようになったおかげでとにかく両親との精神的な境界線が引けるようになり、共依存が終わりました。
親と話し合うとかそういった何をしたというわけではないんです。
親への働きかけは一切していません。
自分や親に何が起こっていたのかを理解することがそれを可能にしました。
自我を形成するプロセスで構築した歪んだ自己像とその真実化にメスを入れることで既存の強固な狭い範囲の認識を崩して、その外へ出ることで解決を見ました。
母はもはや脅威ではなく、彼女は私に精神的にも物理的にも決して影響を与えることはできない存在となりました。
父からの洗脳もすっかり解けて本当の彼がよく見えるようになりました。
遅いけれども、全然、言うことを聞く必要がないとハッキリわかるようになるともはや影響を受けようがないのです。
あれほど母に心を縛られてきた私が、変容により自分が虐待されて育ったことやそれが原因でのバキバキのアダルトチルドレンから足を洗うことが出来た時節がありました。
つまり基本的に過去の幻影に捕われなくなったということで、それが叶う日が来るとは正直思っていなかったが本当に事実としてそうなりました。
自分がそうなると不思議なもので親はもう私に絡んで来なくなるし、言動もかなり変わりました。
母も父もそして私も、「誰も悪くなかった」ということが理屈でなく本当に肚落ちした瞬間が確かにありました。
それは母を「許す」とか「受け入れる」と言うのとも違いました。
ただ、人間というものの仕組みを知っていくことが、その上での自己理解が年季の入った憎悪を溶かしていきました。
それまでの自分の凝り固まった認識の外へ出ることができたのでした。
子どもというのは親に期待しているものです。
もっとああして欲しかった、こうして欲しかった、ちゃんと愛して欲しかった、と。
もちろん子ども時代はそう思って当たり前でそれが自然なことです。
でもいつまでもその子どものままでいるのをやめて心身共に大人になって、親というペルソナを外して彼らを見てみると、彼らは単なる未熟な一組の夫婦でした。
彼らもまた機能不全家庭で育った人たちで、四苦八苦しながらあれでも精一杯子育てをしていたということです。
許すとか許さないとか、傷ついたとか悲しかったとか、そういった感情論をわきに置いたとき、どうであれ彼らの人生を認めるということができました。
私は長年親を憎んでいましたが、親を憎んで自分の苦しみの原因を彼らのせいにするのはしんどいようでいて楽なことです。
虐待をする親を断罪することは簡単ですが、どうして我が子にそんなことをしてしまうのかという背景を理解することが重要だと感じました。
子ども時代に起きた事実を変えることはできないけど、苦しみを自分ごととして捉えてハラをくくったら見晴らしは変わるのだということがよくわかりました。
ずっと誰かに助けてほしかったけど、誰にも私を助けることはできない。
サポートやアドバイスは貰えても、結局は自分しか自分を助けることはできない、絶対に。
誰かがかわりに苦しみをどかしてくれることはできないのです。
自分の足で立つしかない。
自分のケツは自分で拭くしかないのです。
憑き物が落ちるという表現が合います。
認識がかなり変容しました。
なんのことはない、全部一人芝居だったんです。
始めの頃はスーパーで買い物しているだけでも感動して涙が滲んできましたし、近所の道を歩くだけでも家でお茶を飲むだけでもとめどない幸福感が溢れてきました。
笑っているのに笑っていない、自分は絶対ヘンだと思ったあの日から何年も経っていました。
そして人生の方向転換が起きたことで、はからずも頑張る以外の道を気が付いたら歩み出していました。
あんなに「どうしたらそうなれるのか?」と思っていた、頑張っていない道を。
起業したい衝動を抑えることが出来ず、赤ちゃん時代の息子の子育てに集中していなかった後悔があったので、ここから子育てにもより一層心を向けるようになりました。
本当に子どもの方を向けるようになったという方が正確かもしれません。
アダルトチルドレンのことはどうしようもない。と精神科で言われたあの日から何年も経っていたけど、自分が本気になれば足を洗えるものだと思いました。
時間をかけて確実に行ったことは付け焼き刃的な方法論でピャッと行ったこととは比べることが出来ません。
一時的なものではないからです。
簡単に変化したことは、崩れる時もまた簡単です。
一足飛びにやったのではない確実な積み重ねは何があっても崩れないほど強固な生きる土台を築きます。
世の中にあふれている様々な「幸せ」に関するメソッド(方法論)は必ず「こうなれますよ!」という希望にあふれたわかりやすいゴール設定がしてあります。
そうでないとマーケテイングが成立しないからです。
でも本当に「幸せになる」みたいなことがあるとき、とてもゆっくりで劇薬のような魔法のようなものはなく、じわじわと生体反応に変化が起きるということです。
本質的で根本的なことというのは大変地味なものです。
脳神経回路の筋トレみたいなものです。
もちろん一回でいきなり変化があったわけではなく、のちの産休育休期間を除いてあしかけ何年もかけて徹底的に、もう徹底的に学習しました。
この経験から人の本物の変化は「意識を変えるぞ!」などの気持ちの問題ではなく、脳神経の生理的変化であることを実感したのでした。
そしてあの死にぞこなった病室で感じたけど忘れていた直感がやはり間違いではなかったという現実がやってくることになります。
続く。