01.ひじき 【沖家室】思い出備忘録
ひじき
ある寒い冬の日、私たち家族は、大阪から父の故郷である沖家室までの道のりを急いでいた。父は、車の速度超過アラームが鳴るのも無視して、車を飛ばしていた。途中、警察に速度違反のキップを切られてからはさすがにスピードを落としたが、やはり先を急いでいた。
渡り慣れた沖家室大橋をいつも通り渡り、沖家室に着いても、いつも笑顔で道まで出てきてくれている祖母の姿はなかった。祖父と祖母の暮らす家に入ると、親戚が集まってきていた。
祖母は祖母の部屋で静かに横になっていた。
いつもの祖母の部屋。仏壇の前に祖母のベッドがある。脇にある置き薬の箱や小さなテレビや鏡台もいつもの通りだ。
でも、もうそこはいつもの祖母の部屋ではなくなっていた。
祖母のお葬式は、島の公民館で行われた。祖父の希望だったと聞いた記憶がある。今までの帰省では見かけなかった、たくさんの島の人が公民館に集まって来て、明るくてやさしくておおらかだった祖母の人柄や、島で生まれ育った祖母の島ネットワークの深さを感じさせた。私が生まれた頃には、沖家室はすでに過疎の島と言われていて、島民の数は減少の一途を辿っていたが、それでも一同に集まればまだまだ人が住んでいるものなのだと、なんだか感心していた。
式の後、公民館でお弁当が振る舞われた。私も親戚の輪の中に混じり、お弁当を開いた。中身は野菜の煮物や天ぷらなど、ごく一般的なものだったと記憶している。その脇に黒いご飯が詰められていた。
よくよく見るとその黒い色は、ひじきだった。黒いご飯を見たことがなかった私は少々驚いたが、このあたりの習わしなのだろうと考えた。そして何気なく口に運んだ。
驚いた。
美味しいのだ。なんの変哲も無い、ひじきだけが入ったご飯が、こんなにも美味しいとは。私は静かに唸った。
ご飯と一緒に炊いているのか、炊いたご飯に混ぜているのか。そもそも、沖家室でも仕出し屋さんを頼めたとは知らなかった。いや、もしかしたら公民館で島の人が作ってくれたのかもしれない。次々と沸き起こる謎を誰かに追求したいが、今はそんなシチュエーションではない。私はそのひじきご飯を完食し、今回のお弁当がどこから来たのかを密かに母に尋ねたが、その辺りの手配に母はノータッチで、結局、わからずじまいだった。こんなに美味しいものがまだこの島にあったなんて・・・。
式は、私に様々な驚きを残して終わった。
公民館に集まったたくさんの島民の人々、島の慣例に沿って滞りなく進むお葬式、響き渡る浄土宗のお経、そして衝撃のひじきご飯。私は、いつもの帰省では感じたことのない、島の底力のようなものに圧倒されていた。温暖で穏やかな気候の島、そこに住むいつも明るく快活で朗らかな島の人々。その背後には、これまで脈々と受け継がれて来た文化があり、歴史があり、暮らしがあった。2006年に400周年を迎え、明治時代には日本でも指折りの人口密度を誇った沖家室島。そこは私がそれまで感じていた以上に豊かな島だった。なんだか、そんなことがぎゅっと凝縮されて、目の前に差し出された気分だった。
祖母は私にそんなことを伝えて、いつもの島の空に昇っていった。