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耳官狭窄症~退部、不登校。

美術部に入らなかったのは

小学校の合唱クラブからの
持ち上がりで合唱部にいたから。

中学2年生の時
突然、耳がおかしくなりました。

「高速道路のトンネルに入る時」や

「エレベーターの中の気圧がフワンと変わる時」の

耳の籠る感覚が
抜けなくなりました。

母と大きな耳鼻科に検査に行きました。

「耳官狭窄症」と
はっきり言われたかどうか…

どうやって治すのか…

全くわからなかった私。

この症状が
学校や部活の人間関係の
ストレスによるものではなかったのは
最近知りました。


「歌が出来ない
   どうやって音楽を
   やっていったらいいかわからない」


耳鼻科に通院しても
する治療が特になかったので
放置してしまいました。

周囲の女子たちが
どす黒い渦を巻いているように
感じられたのは
現実でした。


「トイレもなにもかも汚い…」


割りと
きちんとしている性格で
潔癖症に近い症状も
出て来たと言うか

今でも変わらないのが

「秩序だってない物事が苦手
   言葉使いの汚い人が嫌い」

小学生の時に
大学生に間違われる程
大人っぽい子どもだったんです。

大人びた子と言うと
早熟な感じを想像するかもしれませんが

恋愛には全く興味がなくて
勉強ばかりしていました。


多分
女生徒を見て

「何であんなめんどくさい表現するのかな…」

こんな風に想っていたかもしれません。

昔も今も
女性が書いた女性目線の
うたの歌詞が理解出来ないし
全く聴かないし
拒否反応が酷いのは


「ヒステリックで依存的」


私にないもの
足りないものです。


考えることが現実的なので
秩序だって物事を考え組み立て
分解して行くと
色々なものが見えて来ました。


音楽をやっていきたい人が
何故か科学と物理全般の偏差値が78


ほんとうは音楽系の学校に
進学を考えた方が良かったのですが

思っていることと現実が
全く違うことに
まだ気が付けなかったんだと思います。

しょうがなく部活を辞めると
重い頭は現実となって

「頭に石が乗ってるみたい」

こう表現して

母が連れて行く
千葉県の心療内科等が合わなくて

当時
奥多摩の祖母が通っていた
飯能の整骨院に「八高線」に乗って
都内に近い実家から
通うようになりました。

近所の整骨院の針治療も合わない
その整骨院の先生は
ふたりとも優しくて良い先生で
気に入って通いましたが

飯能通いは
丸1日自由に過ごす時間が
気に入ったんだと思います。

祖母も通っているのも安心でした。

近所の歯医者さんで
顎関節症じゃないかと
都内の大学病院を紹介してもらいましたが
なんともなかったけど

何か言われたような気がしたし
何か大切なことだったような
気がしましたが

「気のせい」ではないのは確かでした。

当時から
体調と言うか少しの感覚の違いが
違和感としてわかったんだと思います。



結局歯医者の先生に
「筋肉を着ける為に歩きなさい!」


筋肉量の違い体重の違い
体内の水分量の違い

日々の変化が耐えられなかったのか
他のことに集中した方が良かったので

毎日2~3時間
愛犬のお散歩をするようになり

時々飯能に通って
なだらかな上り坂を
永遠と歩いたり

頭が重いのは
いつの間にかなくなりましたが

時はいつの間にか過ぎて
14才だった私は19才になっていました。

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