蝶よ花よの実態
「蝶よ花よと育てられた子だと思ってた」
蝶よ花よの実態は
親にちやほやされて育った箱入り娘ではなかったと言うことです。
「大人になってからのバレエ」
が流行り出したのは
日本人バレエダンサーが海外で活躍するようになって帰国した頃でしょうか
熊川哲也ブームが来る以前
私はローザンヌ国際バレエコンクールをテレビで毎回見ていました。
そこでスカラシップをもらった人が現役バレエダンサーの上野水香さんでした。
大人のバレエの火付け役を当時担っていました。
私がバレエを始めたきっかけは、幼少期に同級生が通っている近所のスーパーの2階のホールに行って
「あなたは(内股だし姿勢が悪いから)向いてない」
こう言われたことが心に突き刺さっていたからです。
23才の時に当時付き合っていた彼が通っていた有名音楽専門学校に私も入学しましたが、ダンスレッスンを1回受けた時に
「これはバレエを基礎からきちんと学んだ方がいい」
と早々に見切りを付け
たまたま近所にあった個人バレエスタジオに通い始めました。
初めてのレッスンでおばさんたちに混ざりながら
「何でそんなに痩せてるの?」
が最初の一言で凄く恥ずかしかったことを憶えています。
ストレッチだけでしたでしょうか…
スプリット(前後開脚)が何故かす~って出来たのです。
「顔も小さいし身長が高過ぎず低過ぎず、首が長くて撫で肩で、足の甲が高い」
「足の甲が高い!」
「足が長くて良いな~」
何度も強調されて言われました。
先生は子どもの頃モダンバレエを少しやっていただけで、結婚してからこのスタジオの本部に通い始めていつの間にか全てを任されるようになった人でした。
本部は老朽化と先生が居るんだかいないんだかで支部にどんどん別れて行きました。
先生は個人スタジオと本部を50才過ぎてから掛け持ちしなくてはならなかったので、地元の1番有名なクラッシックバレエスタジオに通いながらそこで教えてもらったクラッシックバレエを基礎から丁寧にほぼマンツーマンで週3〜4回生徒に教えていました。
子どもや中学生は週に1回夜来る程度でほとんどふざけている中、おばさんたちの方が熱心でした。
私が当時の仲間のおばさんたち(年齢が60才前後)を真似しようにも絶対に出来ません。
中学生や子どもたちのクラスとおばさんたちのクラスの狭間で忍耐強さと根性だけはあったらしく、私は苦もなく10年近く続けられました。
先生が先生になる前の40代の頃のビデオを見ると今のサルみたいな髪型と顔ではなくて、色白で小さくて美しかったことを思い出しました。
先生が厳しすぎたのか、才能のある子たちは高校生になる頃にはお教室を辞めて専門学校に行く子も僅かながらいました。
「何であんな辞め方していくのかな?みんな先生に就いてく気持ちがないのかな…」
端から見たら
先生の方が薄情な言われ方をされていました。
「あんな先生に就いてかない」
先生はあまり自分のことや自分の気持ちを話さない人でしたから、何となく察するセンサーだけで私は振り子のように動いていました。
50才過ぎてから有名クラッシックバレエスタジオに通って最新の踊りと教え方を学んで来る先生を見るていると
「こんなに熱心に教えてくれる先生他を探してもいない、先生に応えられるように頑張らなけば…」
私が出来ることと言えば
○自宅での毎日のストレッチと腹筋50回
○フローリングにした自宅の自室で何度も何度も振り付けの復習
※実は先生が振り付けを忘れてしまうことが多かったからです
お教室に早いとこ行って
踊りの確認とストレッチと自宅では出来ない大技のグランジュテや回転技の繰り返しです。
基礎のプリエ等はレッスンの時に何度でもバーレッスンで出来るので、すっ飛ばしていました。
レッスンはバーレッスンだけで終わってしまうこともありました。フロアレッスンには至らず、発表会が毎年毎年待たずにあるので何曲も並行して少しづつ振り付けをみんなで憶えて、衣装もみんなで一緒に考えました。
おばさんたちは口うるさいと言うか本当に熱心だったし、芸能事務所の社長さんやマネージャーを普段の仕事にしていたので、私を捕まえて
「もうちょっと〇〇したら…」
の注文に全面鏡張りでも見えない部分に色々アドバイスしてくれました。
私の当時の気持ちは
「どうしてこんなに頑張っても出来ないのかな…」
もう努力の道しか残ってませんでした。
プロのバレエダンサーの人は八白土星の人がほとんどです。
森下洋子さん
吉田都さん
シルヴィギエム
八白土星の人は九星中で1番地味です。俳優さんでもカメレオン俳優になるしかなく、やはり地味な人がほとんどですが、とにかく柔軟性があります。誰にでも合わせられ、仲介役や中継ぎをしているうちにトップを纏めたりすることに長けていきます。身内びいきでとても真っ直ぐで純粋、一度この道と決めたら絶対に曲げない強さがありますが、身内の中で他と比べてしまうために凄くネガティブな部分があります。
身内からトラブルをもらいやすい反面、色々なものを引き継いでいく運命です。
そして早いうちに引き抜いてもらえる援助運や後継者運に恵まれています。
晩年は安泰です。
私はまだまだ晩年ではないようです。
永遠の修行僧
頑張ります
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