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忘れてた原点。

自分でも文章を書くこと

特に「手紙」を手書きで贈ることが
当たり前すぎて

音楽なんたらよりも
私の原点が「書道」なことを
忘れて居ました。

そうですね…
6歳の小学校入学してから
中学校を卒業するまで
唯一続いた習い事でした。

書くことを辞めたことのない人生

お稽古に行かなくても
形を変えて
日記や手帳として欠かさず
今でも続けています。

そういえば
中学生の時のなんとなくの目標は
「隷書」を書けるようになることでした。

初段で終わっているので
中学を卒業する時は
「楷書」止まり。

30代後半になり
月1で書道を習う機会をもらい
おばあちゃん先生に師いて
楷書止まりの私の字に
幅と可能性を拡げてもらいました。

当時
知り合いの静岡県の思春期外来の先生に

「やりたいことないの?
   書道とことん極めてみれば?」

両親の前で
「もしかしたら(幼少期に)発達障害のような偏りがあったかもしれない」

でも
かもしれない程度の
言われ方で
お優しい女医さんでしたので

マイペースで話をじーっと聴きながら
ホントは「ぽかん」状態の私に
そう言ってくれたのでしょう…

これがきっかけではありませんが
30代後半から書道に没頭することに

とにかく
楷書しか書けないがネックと言うか
その先を知らなかったので

たまたま出品した
楷書で書いた(漢文だったので旧字体)書が
とんでもない賞を一発で
現役の方を捺して
取ってしまったんです。

私としては
「2回しか(本番)書いてないから
    失敗と同じで中途半端で恥ずかしい」

様々な想いが私の中で巡り

おばあちゃん先生に
「辞めたい」

どんなに説得されても
私の折れた心は動きませんでした

おばあちゃん先生の憧れている
吉川英治の書
「我以外我が師なり」

この横に寄っちゃってる変な字が
どうしていいのかなぁ?

母親の実家が奥多摩だったことで
すぐに「吉川英治記念館」に
両親と行きました。

時代小説好きの父と
ミーハーの母の
見ているところは全然違いましたが

3人揃って
古い記念館の中の
膨大な量の生の原稿に
圧倒されたことを思い出します。

記念館の色んなところに
違う書体の

「我以外我が師なり」

があるのですが
どうも説得力が薄い。

草書体行書体を
多分「ひなびたお爺さんの書く字」として
なめくさっていたのでしょう。

楷書から崩す作業は
約丸1年。

凄くしんどかったのを
覚えています。

先生に
「そこを越えたら大丈夫だから…」

書道を始めた人が
1番最初にぶつかる壁が
書体を崩すこと。

1年越えてみて
「まぁ、
    すらすらラクに字が書けること」

力を抜くこと
脱力すること

ダンスに於いても
打楽器に於いても

これが1番重要で
すんなり40代に入って行けました。

私は人生に於いて
肩書きに書けるような
受賞歴が沢山あるのが
中学生の時から
やっぱり唯一書道だけでした。

今は筆ペンで毎日書くように
書けるようになり
ラクに文章を書いています。

吉川英治さん?
ありがとうございます!

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