第二話 霊園事業へ参入
第二話 霊園事業へ参入
私が40歳の時、主人が不動産業の経験を
活かして
駅から近く5分以内と決め
霊園経営を行うことになりました。
第一期目
霊園事業は共同事業での出発でした。
そこで売れることを確信して、第二期目、
第三期目と墓地事業を拡大開発していきました。
地元の方との話し合いを重ねたり、
竹やぶだったところと畑だったところを
開拓したり、
困難なこともたくさんありましたが
3年~5年がけでようやく
事業開始となりました。
景気もうなぎのぼりでまさに
好景気と進んでいきました。
・・・バブル期・・・
普通のOLが株を買い、主婦も、
高層マンションはどんどん建ち、
日本国がまるで踊りだしそうな
そんな勢いがありました。
私たちはというと、
大手石材メーカーさんから
「どんどん会社を大きくしないと」とか
「人が足りない外国から人を雇わなければ」
などととにかく勢いがよかった。
メーカーさん側の事業拡大の話を
食事の席で話していたことを覚えています。
波に乗った私たちも
霊園事業はうまくいきました。
子育てしながら・・私も、必死で
霊園のお客様の対応をしていました。
しかし、
好景気はいつまでも
続くものではありません。
バブルの崩壊
(1991年3月から1993年10月)
株価や地価(土地の値段の急落)のことです。
今までと違ってニーズが去りかけていると
感じたので、
私も車を運転し従業員を載せて駅で
ティッシュ配りやポスティングなどもしました。
バブルは崩壊し、
さらには(2008年9月15日)
アメリカの大手投資銀行リーマンブラザーズの
破綻をきっかけに、
負債総額約6000億ドル
(約63兆円、当時)という
史上最大世界金融危機これが
「リーマンショック」でした。
不動産市場のバブルの崩壊や
サプライムローンの問題も
露呈し信用収縮や株価の下落、企業の連鎖倒産。
・・・世界経済に多大な影響を与えました・・・
それを境にお墓の需要が減り、
「墓じまい」をされる方が多くなりました。
合祀墓の依頼もどんどん多くなり、
世間のお墓に対する
概念がどんどん変わっていきました。
しかし私たちが、今ここに存在するのは、
代々のご先祖様がおられたからです。
決して
軽視して考えてはしてはいけないと思います。
私の経験では、お墓を大切に守って
おられる方は、
にこやかで 家族親戚の関係が
よく円満なような気がしています。
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【目次】
■プロローグ・・ようこそ keikoママです
■第一話『華麗なる人生の始まり』
■第二話『霊園事業へ』
■第三話『ネッワークビジネス初めての挑戦と挫折』
■第四話『再びネッワークビジネスとWeb集客』
■第五話『インターネットの活用』
■第六話『離れいったリーダーた なぁ~ぜ。なぁ~ぜ?』
■第七話『これが最後のSNS・インターネット集客』