見出し画像

【旅するシニア】ふるさと紀行①「懐かしの神戸・三宮」

兵庫県神戸市で生まれ育って40年弱、暮らしていました。
福岡県に移住してから悲喜こもごもの暮らしを30年以上続けています。
神戸を離れて3年後に阪神淡路大震災があり、故郷の様子は一変しました。
被災した母を見舞うため、何度か足を運んだ時の記憶も薄らぐこの頃です。
あの震災から明日で30年になります。
その後、母も亡くなり神戸に帰るきっかけもないまま、遠い場所になっていました。
しかし動物の持つ帰巣本能きそうほんのうにも似た、故郷への強い思いは薄れません。

親友に背中を押してもい、昨年11月に神戸に帰ってゆっくり過ごしました。
色々な思いの詰まった故郷への旅をまとめてみたいと思います。

#わたしの旅行記

🧳懐かしの神戸・三宮

神戸に帰りたいという思いが強くなったのは、昨年の秋です。
毎年のように福岡を訪ねてくれる40年来の親友が、今度はあなたが神戸に来る番よ!と背中を押してくれました。
心が決まれば意外と簡単に予定は決められるものです。
友の力を借りながら計画を立て旅の準備をして、新幹線に乗ったのは昨年の11月末のことです。

5泊6日の予定で旅立って、まずは三宮のホテルに2泊します。

時おり出身地を聞かれることがあります。
福岡に暮らして30年を過ぎるというのに、話し言葉に関西弁なまりが出るからでしょう。
「神戸です」と答えると決まったように「わ~おしゃれ!」と言われます。
その言葉を聞くと恥ずかしくもありうれしくもあり、自分のことを言われているような勘違いにニンマリする始末。

久しぶりに歩く三宮は「わ~おしゃれ!」の言葉がぴったりでした。
若かりし頃、我が家の庭のようにかっ歩していたあのころの三宮とは一味違っています。
震災後ビルは建て替えられて、道路の幅も広くきれいになった気がします。

🧳まずは東遊園地へ

新神戸駅に到着後、宿泊予定の三ノ宮駅に近いホテルに荷物を預け、交通センタービルに向かいます。
結婚するまで勤めていた職場の友と三十数年ぶりに再会するため、待ち合わせたのは昔と同じ場所。
風貌の変化したお互いが、おそるおそる近づいて名前を呼び合い確認すると会えなかった長い年月はどこかへ飛び去ります。

神戸に着いたらまず行こうと決めていた場所があります。
東遊園地です。
毎年1月17日に「阪神淡路大震災1.17のつどい」が、ここで開催されているのをテレビで見ていました。

阪神淡路大震災が起きて明日17日で30年になります。
遠く離れた福岡から故郷の惨状をテレビで見るしかできず、被災した母の安否もわからぬまま泣き暮れた日が、昨日のことのように思い出されます。

東遊園地へ行きたいという私に友人が、一緒に行こうといってくれたので「慰霊と復興のモニュメント」にむかい、ふたりで参拝しました。

当時のことを思い出しながら友としばし話をしました。
居た場所や立場はそれぞれ違っていても、30年たった今もあの日の記憶は鮮明によみがえってきます。

東遊園地からフラワーロードを少し歩き、神戸市役所の24階にある展望ロビーに行ってみました。

懐かしい建物の周辺には見慣れない高層ビルが建ち、空港までできた神戸を一望していると、知らない街を訪ねたような寂しさを覚えます。
これこそが本当に長い間、ご無沙汰してしまった“わがふるさと”の姿です。

🧳さんちかタウン

三宮でのお決まりのコースといえば「さんちかタウン」と「センター街」で、若い頃おしゃれや食事を楽しんだものです。
そうそう、高架下でも生地を選んだり靴を買ったり、よく歩きました。

地下街は昔とほとんど変わらず、店舗が入れ替わっているくらいで迷わずどこへでも行けます。

クリスマスの装いで華やかにいろどられた地下街は、私がいたころと変わらず大勢の人でにぎわっていました。

1995年(平成7年)1月17日(火曜日)5時46分、忘れることのできない、忘れてはいけない阪神・淡路大震災です。
あれから30年という節目を前に、神戸を訪ねられたことを感慨深く思っています。


♫最後までお読みいただき、ありがとうございます。(^^♪


















いいなと思ったら応援しよう!

kekko
サポートしていただければ嬉しいです。 これからも精いっぱい、心のこもった記事にしてまいります。 どうぞよろしくお願いいたします。

この記事が参加している募集