『私だけの水槽』(松井玲奈:著)を読んで
諸々の要項を踏んで、
現在、私は松井玲奈さんの著作が大好きな人生を歩んでいます。
ありがたくも新刊『私だけの水槽』のサイン本お渡し会に応募したところ当選。
発売日より少し早めのイベントで手に入れた本作を、じっくりじっくり読みました。
おいしい本は、食べ物と同じようにちょっとだけ残してしまう癖がある。
きっと同じような人は多いのではないのかしら。
「ああ、もう終わってしまうな」
終わりはお酒を飲みながら、それともとっておきのアイスやジュースをいただきながら…
と、通勤途中でリュックにしまい込んで温めているうちに、ボロボロになってしまった本が何冊あることやら。
でも、今回はせっかくのサイン入り。
意を決して、土曜、大好きな下北沢majikoでの施術中に、陽に包まれたあたたかな空気の店内で読了となりました。
結論、とってもおなか一杯になる素敵な本でした。
https://publications.asahi.com/product/24743.html
エッセイはどうしても「共感」というエゴが読書という受け手に強く生じる節があるジャンルだと考えています。
そして、私はエッセイが大好きです。
読むのも書くのも。
(自分自身のものは「散文失敬」といった武士顔負けの面目の無さを身体中に含ませながらのものではあるので、皆様、お付き合いいただいてありがとうございます)
男性エッセイストの作品は、どこか父の影を追い求めているような受け取り方をしている節があります。
どちらかというとお勉強。趣味が学習だから、もちろん楽しんではいるんだけれど。
それに対して、女性の作品は、ただただ休みの日に自然に囲まれに長瀞に行くときのような、しんこぺのホットケーキをカロリー気にせず丸っと食べてしまう時のような感覚。
「いまから私は好きなことをしまーす!」
といった、カラカラになった身体にビタミンたっぷりの果物や化粧水をひたひたにするような心地で読書に挑んでいるなと思います。
松井さんの作品も、私の心をぴちぴちに潤してくれる、キラキラしたお守りような一冊でした。
こういう読んだ本の感想というものは、ネタバレになってしまうところもあるので多くを語ることができないので、主に、私はこういう風に受け取ったよ、あなたにも読んでほしいな、読んで重なる部分があればうれしいな、といった自己主張が強いコミュニケーションになって忍びないと思いつつ。
どうしても、良い作品だったから書き起こしてみました。
日常を切り取って「私はこういうことがあったよ」と、こちらに丁寧に丁寧に表現を選んで届けてくれる松井さんの言葉は、手垢がついていて、あたたかで、優しくて、時々くすってする人間味があってとっても気持ちがいい。
そして、おいしい。お腹がいっぱいになる。
私は食い意地が張っているから、心が満たされるとき、うれしい楽しいとき、すぐに「おいしい」とニコニコしてしまっては、少しだけ恥ずかしくひとりで苦笑いをしてしまう。
松井さんの作品はとってもおいしい。
お腹一杯になりたかったから、サイン本のお渡し会に応募してみた。
そして、それは満たされた。
とてもよいことだ。
もし彼女の作品を読んだことのない人は、ぜひ、読んでみてくださいね。
『累々』という小説も、とってもわくわくして面白いですよ。
何か新しいものを読んだり見たり学んだりするということは、いろんな眼鏡を得るということに近いなと思います。
「色眼鏡」というと顔をしかめる方の多い表現になってしまうのですが、その色の数だけ、自分やあなたの人生の見え方が変わって豊かになるのであれば、それは良いことだと考えています。
得たものを忘れることがあってもよいとも思います。
その一瞬を踏むのと踏まないのでは、今そこにあるものはできなかったと思うから。
「おなかいっぱい」になる瞬間の連続とはいかないけれど、時々、こうして、私もみんなも、それぞれにお守りを手にギュッとするような時間を少しでも多く得られますように。
どうか、たくさんの人がそれぞれの適正で適切な健やかな環境にあって、誰にも足元を掬われず、逆もしかり、そういう世界に相成りますようにという、すこしばかりの日記らしい自分のエゴを残して本日は締めるのでありました。