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((A→B)∧(B→C))→(A→C)が本来は論理学的トートロジーではないことについて

以下、拙著
命題を(論理学的)トートロジーと決めつけた上でA→Bの真理値を逆算するのは正当か?http://miya.aki.gs/miya/miya_report39.pdf )4~6ページ「論証の妥当性は論証の形式ではなく内容、そして論理空間にかかわる」の補足的説明である。

昨日の記事、論理学とはいったい何なのか|カピ哲! 
の補足説明でもある。

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平賀源内は『スターウォーズ:エピソード1』の出演者である
『スターウォーズ:エピソード1』の出演者はみんなジョージ・ルーカスのことを知っている
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平賀源内はジョージ・ルーカスのことを知っている

(戸田山和久著『論理学をつくる』名古屋大学出版会、9 ページ)

戸田山氏はこの論証を、「偽の命題を含んだ正しい論証」(戸田山、10 ページ)としている。しかしこの見解には問題がある。実際には以下の二つの状況が考えられる。いずれにせよA→B、B→Cが「正しい」という前提なしにはA→Cという結論を導くことはできないのである。

(1)上記の推論は、「平賀源内は『スターウォーズ:エピソード1』の出演者である」そして「『スターウォーズ:エピソード1』の出演者はみんなジョージ・ルーカスのことを知っている」ということが”もし正しければ”、「平賀源内はジョージ・ルーカスのことを知っている」という結論も「正しい」であろうという、現実とは異なる状況を想像した上での判断なのである。つまりもしA→BとB→Cが「もし正しければ」A→Cも「正しい」という判断なのである。これは現実とは異なる想像上の世界という論理空間における真偽判断なのである。
 そして、こういった判断が可能かどうかは、その場面が具体的情景として(事態として)想像・描写可能であるという前提がある。

(2)現実世界という論理空間における判断とすれば、A→BもB→Cも偽でありA→Cも偽となる。つまり推論は正しくない。前提が正しくないからだ。

・・・つまり戸田山氏は”論理空間の混同”に陥っているのである。

論理空間とは何なのか ~野矢茂樹著『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』第8章「論理はア・プリオリである」の分析
http://miya.aki.gs/miya/miya_report41.pdf

・・・でも説明したが、どういった論理空間を前提とするかによって同じ命題でも真偽が異なってくる。論理は形式によってその「正しさ」がもたらされるのではない。その「正しさ」は命題の内容とその論理を支える論理空間によって支えられているのである。

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