夏の日の2023
夏はまた来るかもしれないが、「今年」の夏は二度と戻ってこない--classの名曲『夏の日の1993』は、学校では教えてくれない無情なる事実を"タブクリア"のように鋭利に突き付けていく。
『♪1993 恋をした oh 君に夢中 普通の女と思っていたけど~』
1993というキラーフレーズのプレミア感がいつ聞いてもたまらない。小生にとって1993の夏は台風の思い出しかなく、そもそもまだ異性を女と認識できていない年頃なので、今聞いても別にリアリティは何もないのだが、1983や2013でない「1993」であることは曲調から強く感じるし、永遠に手に取ることのできない「1993」を思うと、sentimentalの波から離れられなくなる。
2023年の夏だって同じだ。年を重ねると毎年が同じような夏になってしまいがちだが、寄る年波にあえて抗い、2023年でないと味わえないベリッシモな夏にすべく、稲村ジェーンのような大波が姿を現すことを強く期待して、夏の始まりにある決意をした。
車を買っちゃおう!
…と言っても、小生のような下々の者にとって、テスラは夢のまた夢なので、前から目を付けていた某メーカーの中古車に照準を合わせ、わざわざ納車日を7/1に設定し直して、「小生キックオフイベント」を勝手にセルフ開催することとなった。脳内はもう仙台育英モードである。
しかし現実はどうだろう。Twitterが「X」へ蛹化したように、我が人生も「小生2.0」へと変態することを期待するなんて見通しが甘すぎた。
まず、この数年間体調的には無敵だった「あたち」が夏風邪やナントカギーナに冒されてしまい、小生もKOされて二週間ほど苦しんでしまった。比較的うまくいっていた仕事から不穏な足音が聞こえ出し、信じられないような無駄遣いもしてしまった。
三顧の礼で迎え入れ、渋滞回避に関しては最強レベルにカスタマイズされた我が愛車も7月は暇を持て余しており、せめて世間で何かと話題の"あの店"で買っていれば、多少ボラれようとも"持っている男"としてネタにすることができたのに…と小生は危険な果実を求めるようになっていく。
風が上向いてきたのが8月だ。首都圏や北関東を週末に開拓しつつ、関西や東北へも旅をして、7月の負の部分を一掃し、なんとかプラマイゼロへと持ち込めたのが幸いだった。そうか、トミーズ雅がいつしか言っていた「人生プラマイゼロ理論」は本当だったんだ。悪い出来事があれば、タイムラグこそあるかもしれないけど、良い知らせは必ずやってくる。
そして8月が終わっていく。天気予報を見ていると、この一週間もまだまだ真夏。残暑見舞いは8月中が儀礼と聞いたことがあるが、体感的にはまだ残暑にもなっていないではないか。
2023年の夏を『夏の日の1993』風に表すとこうなるかな。
『♪2023 熱を出した oh あたちに夢中 屈強な娘と思っていたけど~』
今年の夏もあと少し。
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