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初公判を前に思うこと
先日も事件現場近くで弁護側実況見分を行いました。
裁判で証拠提出する可能性がありますので詳細は書けませんが、少しでも無罪に向けての追い風になってくれるといいなと思っています。
この日は事件発生からちょうど3年目に突入し、私も弁護士先生も変な感慨深さを感じた日となりました(笑)。
月日の流れは早いものです。
ここまで本当にあっという間に思えたりもしますが、振り返って見ると否認の刑事事件を戦うのはすごく大変なんだということに気付かされます。
逮捕直後からやってもいないことへの自白を迫られ、代用監獄と言われる留置場での勾留を余儀なくさせられるところからスタート。
人格を否定されながら強圧的な取り調べを受け、黙秘しようとしてもそれを許さない警察。検察官の取り調べにしても聞かれてもいないことや答えてもいないことが調書に盛り込まれ、人間不信になりそうなことも多々ありました。頭がおかしくなってもおかしくない世界がそこにあります。
そんな中でも奇跡というべきか、幸いなことに私は1回目の保釈請求で保釈が叶い、約1ヶ月で留置場を後にすることができました。それでも現住所から遠く離れた実家がある田舎に制限居住地が設定され、働くことも困難な状況。保釈から半年経った時、ようやく働き口が見つかりました。それでも検察は制限居住地の変更に反対してきましたが、裁判所の理解はいただけました。
その職場に1年ほどお世話になった今年の10月、やっと裁判日程が決まりました。
しかし、公判初月は集中審理のため、月の半分くらいしか出社することができない上、公判も最大足掛け5ヶ月にもわたる為、会社に迷惑がかからないうちに離職することを決めました。
精神的負担もそうですが、社会的経済的負担もかなりのものです。
それでも、何とかここまで来ることができました。
これも弁護士先生をはじめ、科学鑑定を引き受けてくださった大学の先生、先端的弁護活動を支援する財団の関係者様、親や元部下などの身近な存在の人達。こういった方々のおかげで、ここまで来れたと思っています。
今までの人生の中で経験自体は大変な逆境ですが、私はこの恵まれた環境に感謝しています。
話を戻しますが、今回の弁護側実況見分は早朝に実施したため、終了後に弁護士先生とコーヒーを飲みながら少し世間話をしました。
弁「前述の捜査担当検事は、検察庁から退官して弁護士になったみたい」
私「ええっ???」
自宅に帰ってからそのヤメ検弁護士の事務所にあった自己紹介を見ると・・・
私は、18年以上にわたり、検事としての職務を行った後、弁護士になり、刑事事件に取り組んでいます。
刑事手続きにおいては、勾留請求するか否か、起訴・不起訴の決定、裁判所に対する求刑などについて、検事に絶大な権限がありますので、検事に対して、いかに適切に主張・交渉等をすることができるかが、結論に大きな差をもたらします。
私は、これまでの検事としての経験から、検事が重視するポイント等が手に取るように分かりますので、ポイントを押さえた的確な弁護活動を行うことが可能です。
そう、あの検事調べの際、私を起訴し自らの成果のために言ってもいないこと・答えてもいないことを調書に盛り込もうと不正を働き、最後に根拠もなく「犯人はあんたしかいない」と言い放った『あの』ろくでなし検事です。そんな「ろくでもない人間」がヤメ検という看板を引っ提げて弁護活動してます。
本当に恐ろしい世の中ですね。
でもこれは司法の世界で起きている一つの現実です。
何も知らなければ、こういう弁護士にあたる可能性もあるんです。
犯罪の立証は検察側が行うというのが本来の刑事裁判におけるルールです。しかし私の事件は犯行の直接証拠はありません。
上記のルールがあるのにも関わらず、現実的に無罪を勝ち取るためには被告人が犯罪を犯していないということを被告人側が証明しなくてはなりません。しかし被告人側がその課題をクリアし、かつ捜査機関が直接的な証拠を出せていない状況でも間接証拠と推認という言葉で有罪にする裁判官が大勢います。
これに国家権力と昔からはびこる誤った組織思想が作用すれば、いとも簡単に冤罪が生まれることとなり、しいては有罪率に至っても99.9%という世界では類を見ないとんでもない数字で着地することとなるのです。
こんなことでは、冤罪を主張する被告人を助けてくれようとする熱意ある優秀な弁護士が増えるはずもありません。
こういう事件に取り組んでくれる弁護士がいなくなってしまえば、いや、そうはならなくとも先のヤメ検弁護士のような人間ばかりになれば、この国の刑事司法はどんどん衰退していくことでしょう。
刑事事件の規模は大小さまざまです。
私の事件は世間を賑わすような大事件ではないかもしれません。
仮に、小さな事件であっても国が間違いを犯したのであればそれ相応の責任を取るべきです。それは被告人のみならず、弁護人に対してもです。
そもそも「疑わしきは罰する」という”目に見えない””声に出せない”作用が司法内部に働いていることが問題なのです。
最大23日間の勾留期間で「疑わしきは被告人の利益に」という考え方に基づくことができれば、それ以上の勾留は必要ありません。
逃亡や証拠隠滅の可能性があるのであれば、推定無罪の考えと並行しながらそれ相応の制約条件を課せば良いだけです。
被告人が罪を認め、量刑裁判となるのであれば、速やかな公判開始が望ましいですし、無罪を争うような裁判でしたら被告人自身が保釈されていなければ十分な裁判準備は間違いなくできません。私も保釈されていたからこそ証拠書類の精査や弁護側実況見分を通じ、改めて犯人性を否定する活動ができました。
否認事件の被告人は1割程度しか保釈されないということが法務省からデータとして発表されています。認め事件でも2割です。でも私はなぜか1回目の申請で保釈が実現しました。保釈されてから1年半以上経ちますが、その間で無実につながる検証も沢山できました。
長期間にわたる人質司法の事例は大いに問題があります。それとは別に私のような短期勾留事例についても世間に知らしめなくてはなりません。すぐに保釈される人とされない人と一体何が違うのか・・・。
人が人を裁く以上、おかしなブレがあってはいけないと思います。これは公判廷であっても一緒です。
裁判所には過去の裁判例を含め、公平な判断を期待します。
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