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違うということ
同じ取材内容から、みんな全く違う文章を書いた日のこと。
ライター講座で、僕は妙な恐怖を覚えたことがある。
同じ景色を見ているはずなのに、誰もが違う色の眼鏡をかけているような不思議な感覚に陥ったのだ。(そう、僕の眼鏡は度が強すぎて、物事を極端に見てしまう癖があるのだけれど)
著者の言葉を汲み取る力。
それを解釈し、わかりやすく構成し、読みやすい言葉で綴る力。
その時の僕といったら、まるで新米の料理人のようだった。お客様の好みを忖度しすぎるあまり、結局、何も作れなくなってしまったのだ。
「僕の解釈が入ってはいけない」というプレッシャーで、包丁も持てないくらいに。
ゴーストライターとしてデビューしてからも、原稿を書くたびに極度の緊張を感じていた。
キーボードに向かうと、まるで綱渡りをしているような気分になった。近所を散歩するだけなのに、「転んで頭を打ったらどうしよう!」と、なぜかヘルメットまでかぶりたくなる慎重さを持ち合わせていたのだ。
そんなある日、尊敬する大先輩に相談してみた。
「著者に直してもらえるでしょ?」
さらっと返ってきた言葉に、僕は目が点になった。
ああ、そうか。
最大限に著者の言葉を汲み取る努力はする。でも、違ったら指摘してもらって直せばいい。
なんだか、肩こりが一気にほぐれていくような気分になった。
とはいえ、今でも緊張はする。
だって、著者の代わりに書くということは、著者の人生に深く触れるってことなのだから。
その言葉たちへの尊敬と敬意は、いつだって忘れないようにしている。
でも、だからといって、極度に緊張することはなくなった。
全力で書く。
違ったら直す。
その繰り返しを、手を抜かずに丁寧にやっていく。
そんなふうに集中して書くようになってから、緊張している場合じゃなくなっていった。
そして、そうやって仕事を重ねていくうちに、僕はあることに気がついた。
人は誰もが、少しずつ違う色の眼鏡をかけている。
例えば、同じ朝ごはんを食べても、「美味しい」の一言に込める想いは、人それぞれ違う。
以前の僕なら、その違いにいちいち慌てふためいていた。
結局、自分の好みの味噌汁の味付けすら決められない性格なのに(笑)。
でも最近は、言葉の裏側にある、その人の人生に触れることで「なるほどな」って捉えるようになってきた。ゴーストライターとして、たくさんの人生に寄り添ってきたから、かもしれない。
だから、思うのだ。
たとえ、自分の意見が大勢と違っても、自分の想いから出た言葉を大切にしたい、と。
以前は空気を読みすぎて、そんなふうには思えなかったんだけど。
というか、自分を消していた。
でも、それじゃあ、味付けのない味噌汁みたいなものだ。
そもそも、すべての人が違いを持っている。
違うからこそ気づくことがある。
自分のことも、相手のことも、もっと深く知れる。
まあ、でもね、時には人との違いに過剰に反応して、感情的になることもある。でも、それすら僕が僕として生きているからこその証。
すべての人に、それぞれの物語がある。
それを僕は、僕の言葉として表現できているだろうか。
明日も、僕は自分なりの眼鏡をかけて、世界を見つめていこうと思う。
度は強すぎるけれど(笑)。
これはこれで、僕の持ち味なのだ。
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