乳房を取ってせいせいしてたら、人生を突きつけられた
むかし、むかし、あるところに、自分の乳房を取りたいと悩む少女がいた。
その名は、乳 取子(チチ トリコ)。
以降、「トリコ」あるいは「彼」と呼ぶことにしよう。
トリコは幼いころから、自分の性別に違和感を持っていた。
女性の体で生まれてきたけれど、自分は男性だと感じていたのだ。
だから、年頃になって乳房がDカップになったとき、それに戸惑い、嫌悪感を持った。
「できることなら、今すぐ乳を取ってしまいたい」
猫背になって凸する乳房を隠しながら、そう思っていた。
やがてトリコは成人をむかえた。
自らいろんな情報を入手するようになり、手術で乳房を除去できることを知る。
その費用、約80万円。
すぐに用意することは難しかった。
そうこうしているあいだも、トリコの乳房は自由気ままに垂れ下がっていた。
いつしかトリコは、その気ままさを黙って見ていられなっていく。
かといって、今日明日、手術を受けるのは現実的ではない。
しかたなく代替え案を探した。
結果、さらしやテーピングテープ、おなべシャツ(通称なべシャツ)といったアイテムを使って、自らの乳房を潰して生活するようになった。
年がら年中、暑苦しい日々がつづいた。
ときには擦れて、肉が削がれてしまうこともあった。
それだけではない。
トリコは、人から胸や背中を触られることを、極端に嫌がった。
胸を潰していることがバレるからだ。
「すべては、男として生きるため」
そんなふうに割り切って、暑さや痛みなどに耐えた。
トリコに転機が訪れたのは、しばらく経ってからだ。
あるホームページで、自分と同じ性同一性障害の人を見つけた。
その人はすでに乳房を取り、戸籍上の名前を男性のものに変えていた。
トリコはすぐにその人に連絡を取り、自分も乳房を取って、名前を変えることを決めた。
安易な気持ちで決めたわけではない。
家族のことを考えて、何度も躊躇した。
彼にとって、重く、つらい決断だった。
と、ここまで、昔話ふうにトリコの物語を書いてみたけれど、お察しのとおり(いや、察してないかもしれないけれど)トリコとは僕のことだ。
乳房除去手術から約二十年が経ち、今もなお男性として生活している。
術後の乳房のカタチは、自分の望みどおりにはならなかった。ややボコボコしているのだ。
けれども、Dカップがなくなったことで、とても生きやすくなったといえる。
後日談となるけれど、じつは手術を受けるかどうか決めるときよりも、受けたあとのほうが大変だった。
傷が落ち着くまで、胸に血が溜まったり、乳首を失いそうになったりしたからである。
また、しばらく「うっ血」したため、体をまえに倒すたびに悲鳴を上げていた。
体中がじんじんと痛くて、日常生活に支障をきたしたこともある。
手術を受けた病院に相談したものの、原因は不明。
他にも、内科や整形外科、カイロプラクティックに足を運んだ。
そこでも原因はわからないといわれた。
しかたなく、僕は市販の痛み止めを飲んで、苦痛に耐えるしなかった。
約半年間、それはつづいたのだ。
そういう痛い思いはしたものの、手術を受けたことに後悔はない。
じゃあ、同じ悩みを抱えるひとに手術をすすめるかというと、それはまた別の話だ。
胸を取ると、人生は変わる。
少なくとも自分はそうだった。
そんな大切な決断を、人に委ねてはならない。
僕はそう思うのだ。
ちなみにあくまでも、僕、個人の話だけれど、乳房除去手術をしても、性同一性障害に関する悩みがすべてなくなることはなかった。
悩みをそれなりに解決するには、性別適合手術が必要だと感じている。
僕は、その手術を受けようと思えばすぐに受けられるけれど、今のところ予定はない。
二十代のころは、性別適合手術を受けるつもりだった。
でも、年齢を重ねるうちに考え方が変わった。
手術はあらゆる意味でリスクが大きい。
よほどの理由がないかぎり、控えることにしたのだ。
その件については、またどこかで話そうと思う。
乳房除去手術をしたことによって、気づいたことがある。
性同一性障害を理由に、人生の大事な局面で何度も逃げてきたということだ。
それはたとえば、家族のことや自分の将来のことである。
乳房を除去しようが、性転換しようが、最終的にたどりつくのは「自分はどう生きるか?」という本質的なことなのかもしれない。
最近、性別適合手術について、いろんな意見を見かけるようになった。
何を条件として性別変更を許可するか、それを決めるのは大事なことだけれど、他にも大切なことがあるのではないだろうか。
現状、手術を受けなければ、戸籍上の性別を変更することはできない。
そのためか「手術を受けなくても、戸籍上の性別を変更できるようにすべき」という意見が注目されることがある。
僕は僕なりに、いろんな意見があることは知っているし、受け止めているつもりだ。
そのうえで、思うことがある。
ある意味、僕は幼いころから、性別に違和感を持つというかたちで「生き様を決めろ」と突きつけられてきた。
人の意見を聞いたり、参考にしたりすることも、ときには大切だとは思う。
でも、自分の生きかたは、誰かの意見や何かに左右されながら決めるのではなく、自己責任のもと自分で決めたい。
自力ではどうすることもできない現実があろうとも、自分の人生は自分で決めたいのだ。