「クライテリオン」の神宮外苑再開発批判の誤りを指摘する
前置き
今から下記文章の誤りを指摘する。
身の丈に合はない看板はただただ恥づかしいだけだな。最近そんなのばかりだ。くだらない。
神宮外苑再開発に関する部分だけ述べるが、出だしから嘘八百でこの人は物事を自分で調べることもせずに、印象だけで物事を判断し、簡単に文章にしてしまふ、慌てん坊の粗忽者で、批評精神のカケラもない人である。批評精神がない人の批評とは端的に言ふと妄想の上に妄想を重ねただけの自己満足の文章で、夢日記みたいなものだ。まあ読むに耐へない。
仲間内で褒め合ふだけの同人誌に書いてゐると、そんな文章に疑問を持つことも、批判にさらされることもないのだらうか。時間が惜しいのでパパッと切り捨てる。
批判、事実誤認の指摘
この問題(神宮外苑再開発問題:引用者註)は、古木の伐採という緑の環境問題や子供たちのスポーツ広場を失うということだけにあるのではない。イコモス(国際記念物遺跡会議)の勧告に従おうということでもない。「明治神宮の外苑」という場所に相応しい開発ではないということが問題なのだ。学徒出陣の重い歴史を刻む地でもある。
外苑再開発によつて樹木は増える。緑の環境問題とは一体なんのことだ。街路樹を切るな、といふ欧米環境カルトの言をまさか真に受けてゐるのか。
子どもたちのスポーツ広場を失ふとあるが、そんなものはハナから存在しない。再開発によつて、誰もが立ち入ることのできる公共スペースが誕生する。
「明治神宮の外苑」に、超高層ビルという「主張する主体」は相応しいだろうか。
明治神宮の外苑の何たるかを知りもしないくせに、一丁前に相応しいとか相応しくないとか、徹頭徹尾印象論で語る。明治神宮外苑とは明治聖徳記念絵画館を中心とした複合施設であるが、現在の姿は聖徳記念絵画館を中心としたとは言ひ難い姿である。
これは明治神宮外苑の来歴を知れば、アメリカ占領軍によつて蹂躙破壊されたまま残置されてゐる神宮外苑の現状を目の当たりにすれば、即座に理解されることである。占領軍に従順である日本人を批判したのは西部邁だが、まあ良い。批評まがひのおままごとにいつまでも付き合つてやる義理はない。先を急ぐ。
この人は先祖代々東京に住んでゐるらしいが、そのことと彼自身が土地の来歴を知つてゐるかどうかは全く別の事柄である。この人は何も知らないのに(少なくとも明治神宮外苑については何事も知らない)、ただ先祖代々東京に住んでゐるといふことを根拠にして知つたかぶりをする。これは東京流のジョークなのだらうか。口からデマカセばかり書いてゐるから、東京に住んでゐるといふのもデマなのかもしれない。ははは、笑へないか。
「神宮外苑の再開発計画」は(中略)どんな場所にでも儲けのチャンスがあれば超高層ビルを建ててしまおうという「精神性の欠如」そのものである。
こんな事実はない。明治神宮の外苑周辺にはすでにビルが立ち並んでをり、新たに立つビルも配慮されてゐる。精神性の欠如を言ふ前に、己の不勉強と批評精神の欠如そのものを嘆くべきである。
明治神宮とその外苑は、神社だけのものでも東京都民だけのものでもない。駅前の再開発や埋立地の街づくり計画とは異なるはずだ。施設の老朽化や建設費用の問題があるとしても、都知事ならば、外苑を金儲けの土地にせずに、次の世代に向けて外苑らしく守り続けられるような再開発を考えてほしいものだ。
何もかも間違へてゐる。事業者が計画し、都議会が審議し、都知事小池百合子は議会を追認したに過ぎない。ハナから都知事がどうかうできる問題ではない。それにしてもエラさうにあれこれ言ひながらあるべきスバラシい再開発については都知事に考へろと言ふ。代案や理想像があるわけでもないらしい。一体いままで何を喋つてゐたんだ?
これは現実社会の出来事で、あなたのファンタジー世界ではないのだ。さあ目を見開いて現実を見よう。
さて、明治神宮とその外苑は、神社だけのものでも東京都民だけのものでもないらしい。では誰のものかと思ふが、つまらない言葉遊びをしてゐる暇はないから先を急ぐ。少なくともお前のものでないことだけは確かである。
明治神宮が内苑の森を未来永劫残さうとして、神苑を将来にわたつて切り売りしないで済むやうにと、今後百年を見据ゑて今回の再開発は行はれるのである。そんなことも知らずに、恥かしげもなくこんなことを書く。
ゲニウス・ロキは、代々土地に棲む人々の畏れが生んだ精霊と言える。土地に対する想いは世界共通の感覚で、どこであっても人々はそこに人知の及ばぬ神や精霊や怨霊を感じて暮らして来た。人は「場」に抱かれていることを忘れてはいけない。「場」への畏れを失った人間の計画は浅はかなものだ。
明治神宮への畏れを持たぬ人間が、平気で虚偽を口の端にのぼせる怖いもの知らずの人間が、荒唐無稽な発言をシながら異国の幽霊を畏れよと、ブツブツ呟いてゐる姿こそがホラーでよほど恐ろしい。
明治神宮を古代ローマの土地の守護神を引合ひにだして語る壊滅的なセンス(ただ単純に語彙が少ないだけかもしれない)に辟易するが、西部邁の周辺といふのは、彼の形骸だけを真似て、その本質には無頓着で、やたらと文中に横文字を散りばめ、無内容を粉飾することに血道をあげるエピゴーネンばかり、これでは泉下の西部が浮かばれない。
泥人形に生命の息吹を吹き込み人間を創造した神様気取りで、横文字をこねくり回して原稿に仕立て上げようとしたものの、肝心の命を吹き込むことができずに、くだらない、おもしろくない、デマカセの駄文が泥中に沈んでゐる。地下に眠るらしいゲニウス・ロキ(古代ローマの土地の守護霊とのこと。わざわざこんな勿体ぶつた言葉を使用するのがいかにも田舎臭くて思はず顔を背けたくなる)とやらも、こんな文章を読まされるくらゐなら地下深くに逃げ込みたくもなるだらう。
さて、彼の文章は近く東京を直下型地震が襲ふと予言めいた脅迫で締め括られる。田舎臭い文章を書いた彼は、神宮外苑再開発によつて震災時における都民の避難スペースが広がり、防災備蓄倉庫が用意されることなども知りはしないのだらう。やれやれ。