300年超、井波町の変遷とともに多様なお客様に寄り添い続ける『東山荘』
<はじめに>
「なりわいノート」特集第一弾は『井波の200年超企業』!!
富山県の長寿企業ベスト17位と32位にランクインする、井波が誇る老舗2社を取材し、創業からの歴史や、現在どのような想いで経営されていらっしゃるかを伺いました。
掲載2社目は、瑞泉寺前の純和風旅館『東山荘』さんです。
東山荘の創業は江戸時代の元禄年間(1703年)。300年を超える東山荘の歴史や井波の変遷について、20代目女将からお伺いした内容を記事にしました。ぜひご一読ください!
<東山荘とは>
創業1703年(元禄年間)。
2階の客室からは瑞泉寺の山門が目前に迫る、その好立地に宿を構えて300年超。参詣客を中心に憩いの場を提供し続けている。著名人の宿泊者も多く、池波正太郎が愛した宿としても有名。
現当主は20代目。21代目となる息子さんは厨房を担当している。
① もとは「松月」。東山荘は「ひがしやまそう」!?
東山荘の創業年がわかったのは、実はほんの40年ほど前。現女将のお義父さまである19代目がお手次ぎ寺の住職と過去帳を調べて、創業が「元禄」であるということが判明しました。
さらに驚きだったのは「東山荘」という名前は19代目が改名したもので、もとは「小牧屋」、戦前から戦後にかけては「牧野旅館」、昭和30年代からは「松月(しょうげつ)」という名の旅館だったことです。
19代目は豊かで新しい考えを持つ先覚者で、東京の大学をでたのち東山荘に戻るまでは北日本新聞の記者として働いていました。福光出身の政治家で日中国交の大役を担った松村謙三先生と接する機会も多く、中国訪問へも同行して尊敬の念を膨らませた19代目は、松村先生へ「是非に」と宿の命名をお願いし、そこで中国の風光明媚な「東山」から名前をとって「東山荘(ひがしやまそう)」と名付けていただきました。
ところが、地域の方やお客様に「とうざんそう」ですか? と尋ねられることが想像以上に多く、漢字はそのままで「とうざんそう」と読み方を変更したそうです。19代目の柔軟な考え方がよくわかるエピソードでしょう。
女将曰く、19代目は『とにかく顔が広かった』。東山荘に戻ってからは、社会福祉協議会をはじめとした町や寺の役員を務めるなど、地域のお世話を積極的に行いました。また、若い井波彫刻師の作品をたくさん購入したり、高価な掛け軸や置き物を収集したりと、それらが今、東山荘の客室を賑わす重要な役割を果たしています。各客室には異なった欄間や床の間の掛け軸、多様な美術品が飾られ、価値ある作品を鑑賞する空間としても地域で評判となっています。
② 井波町と東山荘、役割の変遷
瑞泉寺の目前、2階の客室からは山門をいつでも覗くことができる、この場所を江戸中期から守りつづけている東山荘。長寿要因を尋ねてみると女将からは「参詣客がたくさんこられたから。そういう方を淡々と受け入れてきただけです」と謙虚な回答をいただきました。
自家用車が普及する昭和中期までは、瑞泉寺を訪れた参詣客は井波で宿を取るのが当たり前という時代。その頃の井波には他にも複数の旅館がありました。しかし、車社会となってからお客様は激減し、今では長く続いている宿は東山荘ともう1件のみとなりました。
そのような状況下で東山荘が続いてこられた要因のひとつに、井波の『花街文化』があります。女将が東山荘へ嫁入りした当時、井波には4人の芸妓さんがいて、富山県中の方が井波に集まり、特に大手企業の出張の接待などで賑わいました。当時は庄川にもまだ今のような温泉旅館はなく、福光と井波が県内でも別格の『花街』でした。
「DAIKEN」や「東洋紡」など、県を代表する企業の社長クラスの方が毎月のように来られて、女将(当時まだ若女将)もきちんとした着物姿で料理のお運びをして、席にも座り、完璧なおもてなしで接客をしました。
当時の感想をお伺いすると、「大企業の社長はやはり皆さんすごいオーラがあって、恰幅の良い方ばかり。あの頃はいつも緊張していた」と女将。今では井波が花街であったと知る若者は多くないでしょうが、芸妓さんがいて検番があって。そうして井波が栄えた時代があったということです。
もう一つ、東山荘のお客様に多いのが、文人・芸術家・経済人などの著名人です。作家の池波正太郎さんを始め、白洲正子さん、北方謙三さん、芸術家の岡本太郎さん、俳優の片岡鶴太郎さん、高島礼子さんなど…。枚挙にいとまがないほど多くの著名人が宿泊されています。そして面白いのが、皆さん宿帳に思い思いのメッセージや絵を筆で描き、まるで作品集のような高価な冊子が出来上がっていることです。女将に見せていただいた宿帳はまさに東山荘のお宝そのものでした。
この習慣も19代目が始められ、著名人の方が来られた際に硯と筆を持って「書いてください」とお願いすると、みなさんお帰りまでに書いてくださるそうです。一人ひとりの達筆なメッセージやユーモアあふれる絵の一つひとつが大変感情豊かで、一見の価値あり!
東山荘へお泊まりの際には、ぜひ女将へお願いして見せていただくと良いと思います。
③ お客様との会話を大切にする“女将道”
大手企業の接待を中心に嫁入り直後から忙しく走り回っていた女将ですが、旅館仕事について伺うと「楽しいですよ」と即答されました。もともとお話し好きな女将は、お客様とおしゃべりしたり、時には一緒にお酒を飲んだりして自然と友達のように仲良くなり、そこから常連客になる方も多いそうです。
「仕事自体はたしかに大変かもしれませんが、見方を変えれば向こうからお客様がいらっしゃって私の知らない色々なお話を聞かせてくれるわけですから、旅館は楽しいです」という女将が心がけるのは、お互いが楽しいなと思える空間をつくること。女将自身もお話しができて楽しい、そしてお客様も喜んで帰られたら嬉しい、そのようなWin-Winの空間を目指してこれまで接客を行ってきました。もちろん、そっとしておいてほしいという方もいらっしゃるので、そういう方には「ごゆっくりどうぞ」と。
このような女将の対人能力があったからこそ、昭和期の接待需要がなくなってからも東山荘は井波で続くことができたのでは、と筆者は考えます。
しかし、現在のコロナ禍で宿泊業は苦境に立たされ、人と人との物理的距離にも様々な制限が課せられています。まだまだ先が見えない現状ですが、それでも女将は前向きに楽しみを見つけて楽しんでいらっしゃるそう。井波の女性陣はとってもポジティブです。
④ ランチタイムも営業中! 夕食のすき焼きも絶品です
東山荘の現在の建物は、昭和初期に18代目が改築したもので、中へ入ると建物の構造や客室の作りから一昔前の古さを感じます。
今後の展望を伺うと、「おばあちゃんの家に遊びにきたときのような、古き良き時代を懐かしむことができる今の雰囲気をそのまま活用していきたい」と女将。近い将来、国登録の有形文化財に申し込むことも検討しています。
「このような古いものをいいなと思ってくださる方に来ていただきたいですし、そういう方がいらっしゃる以上は続けていきたい」と意気込みを語られました。
間口を広げるため、現在はランチの営業もしています。気軽に雰囲気を知ることができるランチは大変好評で、そこから宿泊へつながるお客様もいらっしゃいます。
ランチは個人のお客様も大歓迎! 宿泊価格もそれほど高額ではありませんし、なんと言っても夕食の「すきやき」が絶品でした(筆者体験談)。今では21代目(息子さん)が料理のほとんどを担当していて、すきやきの日は良いお肉を買い付けに行くそうです。
瑞泉寺のお隣、欄間が飾られた落ち着く和室で、憩いのひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
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