認知バイアスと敬語~③透明性の錯覚
先日、『犯罪心理学者は見た 危ない子育て(SB新書 出口保行著)』の読書感想文にて、4つの認知バイアスを紹介しました。
本書によると、これらの思い込みを手放すことは、子育てに限らずラクになったり、この先余計な苦しみを抱え込まずに済んだりするそうです。そこで、本書で紹介されていた4つの認知バイアスを一つずつ、敬語の観点から説明していきたいと思います。今回は、三つ目の透明性の錯覚です。
透明性の錯覚と文法
「愛している」なんて言わなくても通じ合っているの💛
そんな関係は素晴らしいですが、それは世界中で(普通は)最大1人しかいません。通常は言葉を尽くしてもなかなか分かり合えないのが人間です。
敬語ブログでは、文法の間違いを何度も繰り返し取り上げています。それは、伝えたつもり、分かったつもり、をなくしたいからです。
多くの人は、私は今「お客さま」と呼ばれたんだからこの人が使っている敬語は私を立てている敬語に違いないと解釈します。実際に使われた敬語を気にすることもなく、正しい敬語がどうであるかを知ろうともしない人もいます。結果、「立てる」の中身も互いの思い込みとなり、客側はなんでも自分の思い通りになり黙っていても自分にとって良いようにしてくれると期待し、その期待を裏切られては傷つきクレームを言うという悪循環が生じます。得をするのは、相手が抱いている蜃気楼のような期待を、自分のために使えばいいと気づいた人だけです。
自分が誰に対してどういう敬意を持っているかを明確に伝えるのが敬語ですが、それを意識して使うことによって、「私のことを人は分かっていないのだから、私がどういう敬意をもって人と接しようと思っているかをきちんと言葉にし、それでいいか聞き手が判断できるようにしなければいけない」ということを忘れないようにするのです。
それでは、また。
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