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普段の電話応対がイレギュラーな入電の対応になる

先週のブログでは、“今”、あなたに対応している“わたし”の中で湧き起こっている“思い”を表現しなければならないとお伝えしました。

そして、普段からそのような訓練ができている人は、イレギュラーな入電のときに差が出ると結びました。

イレギュラーとは、例えばクレームのことです。


電話応対の目的をどこに置くか

電話応対について、”クレームにならなければよい”と考えていると、お客さまの心の機微を捉える必要も、今、私の中で湧き起こる思いを正確に言葉にする必要も感じられません。多くの人は、少しの〝イラッ”なら自分の中で収めてしまうからです。

しかし、電話応対の目的を
クレームにならずに終話すること ではなく
入電時よりも良い状態で終話すること に置くと、そのような対応では十分とは言えません。

良い状態とは

入電時よりも良い状態とは、
まず、電話をくれたときよりも入電者の気分がよくなっていること、
次に、電話をくれたときよりも入電者がその企業のことを信頼していること、
の2つです。

そのためには、怒りというほどではなく、見過ごしてもたいしたことがないような、小さな心の機微にも敏感に反応して対応する必要が出てきます。

そうすれば、ちいさな”イラッ”で終わるはずだったところが”ちょっといい気分”で終話することができます。
そして、そのような気分にさせてくれた企業を”お客さまを大切にする企業””細かなところまで気配りのできる企業”と認識してくれます。

もしそのような対応をしようと思ったら、トークスクリプトを読み上げているだけではダメだということは誰にでも分かることでしょう。

入電者の小さな気持ちの揺れに合わせて、こちらの対応も小さく寄り添う。
そんな繊細な対応が求められます。

例えばあなたが、「こんなこと、きっとやってくれないだろうな」と思いつつももしかしたらと淡い期待を抱いてどこかの企業に電話したとき、ある企業は「申し訳ございませんが、致しかねます。」と断るかもしれません。それでもきっとあなたは怒ったりはしないでしょう。

けれど、その言い方が取り付く島もないようなものだったら、きっとその企業のことを思い出したくなくなります。
一方で、同じ断るにしても、ねぎらいの言葉やお礼の気持ちが伝わってきたら、電話してよかった、と思えるかもしれません。

クレーム対応と同じ

そう考えると、通常の対応とクレーム対応に何の違いもないということが分かっていただけるのではないでしょうか。

例えばあなたが、自分でもどうしようもなく腹が立って相手に怒りの言葉を投げつけたとき、その言葉をしっかりと受け止め、その人の体から湧き起こってきた共感の言葉を言ってもらえるのと、あなたが怒っていることに怯えて「大変申し訳ございませんでした」と繰り返されるのでは、どちらが嬉しいでしょう。

入電者にも気持ちがあることを忘れ、ただ質問に答えればそれでいいと思って対応していると、怒られて初めてびっくりするということになります。

電話の向こうにいる”人”に対応していれば、基本的なスタンスを変える必要はありません。ただ、相手に合わせて気持ちを寄り添わせるので対応もそれに合わせて変わるというだけです。

わたしたちが、入電者の怒りを自分のからだの中にまで取り込み、取り込んだことが入電者に伝われば、その分入電者の怒りは溶けていきます。“怒り”や“悲しみ”や“悔しさ”などを“吐き出す”ためには、その吐き出したものを“受け入れる”場所が必要なのです。

そのような場面における的確な感情表現は、入電者が悪いもの、汚いもの、嫌なものとして吐き出す感情を浄化します。それは「あなたが見せてくださった感情はとても繊細で人間らしくて美しいものですよ」というメッセージでもあります。

それは、普段から、電話をくださった人をどのように見ているかということが表れているだけなのです。

では、また。

世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。