帰らせていただきます~諸刃の敬語#2
三つ指ついて、妻が夫を出迎える。
こんな妻は今どき少ないかもしれません。それでもこんなドラマチックな光景なら想像はできるんじゃないでしょうか。
「実家に帰らせていただきます!」
これ、誰がどう見ても激怒していますよね。
「実家に帰る!」
という言葉と比べてみてください。どう違いますか?
下の言葉なら、後ろから抱きしめて「ごめんね。今度、君の行きたかったお店に一緒に行こうよ」などとなだめればなんとかなりそうな気もしますが、上の言葉を発せられたら、抱きしめるその手を静かに払いのけられそうです。
さて、この二つの言葉の違いは敬語が使われているかどうかです。
言葉にすれば以下のようになるでしょう。
敬語は距離を取る
もっと根本をいうと、敬語とは、誰かを立てるための言葉です。それによって円滑なコミュニケーションを目指します。そのための方法として最も基本的な機能が距離を取ることです。
しかし、手段としての「距離を取る」が目的として使われているのが今回の例です。
基本の意味
ここで使われている敬語は「目上の方からありがたいことに許可をもらって」というニュアンスを加えるものです。
整理すると、以下の三つの意味が込められています。
①相手から許可を得た
②その相手を立てる気持ちがある
③許可をもらったことに感謝している
ではこの場合、これら三つは事実を表しているでしょうか。
まぁ、表していないでしょう。
逆を表す
敬語が事実を表していないとき、往々にしてそれは逆の意味を表します。
あらためて整理すると、以下の三つの意味が込められています。
①相手からの許可など必要としない
②その相手を立てる気持ちがない
③感謝などしていない
通常であれば思っていても表現しないこれらの気持ちを、それでも直接的に表現するのは大人げないので、婉曲的に表現しているということです。
言われた側の敬意の方向と行動の関係性
では、こう言われた側はこの言葉をどう理解し、どう行動すべきでしょうか。
もし、言った側と同じ気持ちなのであれば、距離を取るのがよいでしょう。
互いにもう会わないのが一番良いという選択です。
強制
それが受け入れられない場合ですが、相手と一緒にいたいという気持ちはありつつも、相手への尊重がなく、相手が帰ってくる条件を探すとどうなるでしょう。
想像するだに恐ろしいですが、想像してみますね。
・結婚しているのに勝手に出ていく妻が間違っている
・子どもの親権を取れば、嫌でも離れられまい
・実家に居られなくすればいい
共感
こういう恐ろしいことをしたいと思う人はほんの一部です。多くの夫婦喧嘩なら、もっと一緒に居たい、もっと話したい、と相手を大切に思う気持ちがあるでしょう。それであれば、まずは相手の希望する距離を取ることが相手への尊重を示すことになります。
そして距離を取ったら、なぜ相手はそこまで思い詰めてしまったんだろう、と自問することです。共感とは、相手の言動を見聞きした自分の内側にしかないからです。
あぁ、たしかにこう言わざるを得なかったんだなぁということが分かり、次に、自分がこう変わればあの人も「じゃあ帰ってもいい」と言ってもらえるんじゃないか、という想像ができます。
相手を変えるのではなく自分が変わることで良い関係を作ろうとすることが敬語の基本的な考え方です。(あくまで相手の主体的な選択であり、判断は相手に委ねます)
単なる謝罪ではなく、変化を求める相手に対し、どう変わればよいのかが分かり、それが相手の求めるものだった場合、元のさやに納まるだけでなく、雨降って地固まるという喜ばしい結果になるやもしれません。
※この記事では、イメージしやすいように妻が出ていくという設定で書いていますが、逆でも考え方は同じです。
正しい敬語の例
「帰らせていただきます」本来の使い方を例として最後に載せておきます。
それではまた。
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世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。