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日本人としての誇り
晩年の秀吉は猜疑心の塊のようになってしまい、身内を次々に死刑にするなど若い頃の秀吉では考えられないような言動をとるようになった。
秀吉が晩年に変わってしまったのは、彼に「学問がなかった」からだと私は思っている。人間誰しも、年を取ればタガが緩んでくるものだが、そのタガを緩みにくくしてくれるのが学問なのだ。
戦前の学校には「修身」という科目があったそうだ。その「修身」の教科書には過去の日本の偉人を通して、日本人としての生き方やものの考え方が書かれている。
私の小学生時代にも「道徳」という科目はあったが、この「修身」に書かれている程の重さはなかった。正直、戦前にこんな立派な教科書があったなんて信じられないくらいだ。
おそらく、戦後日本の処理にあたったGHQの意向が影響して、この「修身」の科目はなくなったのだろうが、今読み返しても全然色褪せないのではないだろうか。
引用箇所は、壮年期になっても「学問」する大切さを、渡部先生はおっしゃっている。自分も年をとっても本が読める環境にいたいと強く思った。