『零落(2023)』を観ました。
竹中直人さんから伝わってくる映画愛は凄まじいです。
それは出演している作品からも感じられるし、監督作品からはビリビリと、より強く感じられます。そんな竹中直人監督の熱い思いに背中を押されるように、演者さんもスタッフさんも自然といい仕事ができているのではないでしょうか。
こういう作品に出会えると「映画を観ていてよかった」という喜びや幸せを感じます。
今作『零落(れいらく)』は浅野いにおの漫画が原作です。「ほぼ原作のまま」との感想を見て漫画を見てみたら、キャラクターやセリフや撮り方や服の印象までも、驚くくらいそのままなのでした。原作で描こうとしている思いを、映画でもできるだけ変えないイメージで、同じ姿勢で描こうとしているのでしょう。
今作は見ていて元気が出る作品かというと、たぶんその逆です。
ほとんどネガティブの塊みたいな、半分投げやりになったような自堕落な人をしばらく見ていることになります。主人公の漫画家は自分勝手で、相手が気を使ってやったようなことに対しても、平気でダメ出しするようなキャラクターなのでした。
「どうせ俺の作品なんか、お前らには分かりっこないんだ」というのも作ったりする人には「あるあるエピソード」なのかもしれませんが、そうでない人には、自分だけが特別だと思ってるみたいに見えて、きっと不快感しかないでしょう。
こういう、通常であれば見ないようにしたり、目をそらすような部分に対して、あえてしっかり焦点をあてるということは、創作の大きな役割のような気もします。自分が経験していないことを、もし経験したらどうなるかを感じさせてくれるのですから。
映画のジャンルに「ノワール(フランス語で黒)」というものがあります。このジャンルは、転落していく人を見て「どうなっちゃうのかハラハラして目が離せない」みたいな作品だったりします(犯罪ものが多い)。
今作には主人公が落ちていくみたいな部分があって、追い込まれた挙句に「夫婦間でそれを言っちゃーおしまいよ」とか、「アシスタントにそれを言っちゃーおしまいよ」みたいな取り返しのつかない場面が出てきます。結局ドラマというのは、こういう修羅場の場面を描くことなのかもしれません。
今作観て思ってしまうのは、『ものを作る人っていうのは、どこか頭がおかしいんじゃないか』ってことだったりしました。
例えば、『ものを作ること』を優先するあまり、食べるとか人との付き合いとか、どうしても必要な日常生活を二の次にしたり。
頭がおかしいって周りの人に思われないように、表立っては言わないようにしているけれど、本質的には自分に対して『作っていないなら生きてる意味がない』とか思っていたり。
生きてる経験とか他の人と関わった経験とかそういうもの全てを、時には地べたに寝転がって泣き崩れるようなことになっても、「この経験はなにか作るときに使えるかも」なんて思ったりして、そんなことだから、周りの人からは「信じられない!」とか「あなたは鬼よ!悪魔よ!」などと言われたりしたり。
沖縄の方言に『うちあたい』という言葉があるのを思い出しました。「自分の内面にあたってしまって痛い」というような言葉が沖縄にあるってことに、なんだかスゴいと思ったのでした。意味は「身に覚えがあって、恥ずかしくなって反省したりすること」です。
(追記:ホテルの部屋のネオン管に、私の大好きな『石井隆』作品へのオマージュを感じて、感動してしまいました)
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