アスリートをエンジニアに。独自のキャリア支援プラットフォームで急成長。【前編】
経営者JPが運営する志高き経営者・経営幹部・次世代リーダーが集う会員制プラットフォーム「KEIEISHA TERRACE」。「イマ、ココ、注目社長!」では、各業界でご活躍中!いま注目の社長に、事業、経営、経営者とは、理想の幹部像などについてズバリお聞きしています。
2014年の創業以来、1万人以上のアスリートのキャリア支援を手掛けてきた株式会社アーシャルデザイン。同社を率いる小園翔太さんは、学生時代、プロテニス選手から引退後の不安を聞いたことをきっかけに、26歳の時に起業しました。多くのアスリートを支援する中で分かった事が、セカンドキャリアの悩みが共通しており、競技を離れた外の世界についての情報を持っていないことでした。一方で企業からアスリートの人材のニーズは高く、諸外国のデータからもスポーツ経験が人格形成に寄与される事は証明されています。小園さんは両者を独自の形でマッチングするビジネスで頭角を現します。
(聞き手/川内 イオ)
ショックを受けたプロの後悔
――まずは起業に至るまでの経緯を教えてください。小園さん自身、プロテニスプレイヤーを目指していたそうですね。
小園 はい。ただ、高校時代に飛蚊症を患ってしまい、高いレベルでのプレーをすることが難しくなり、競技者の道は諦めました。当時は、人生のどん底に落ちたような気持ちになりました。
――それはつらい出来事でしたね。
小園 競技の道を諦めてからは、お恥ずかしながら非常に無気力に過ごしていました。大学に入っても、とりあえずテニスに触れられればいいという思いで、インストラクターのアルバイトをしてました。就職活動の時期になって周りがリクルートスーツを着ている時も、その状態は変わらず、このままインストラクターを続けようと思っていましたね。
――就職はしなかったのですか?
小園 しました。大学3年生後半の時のある出来事が大きな転機になったんです。たまたま女子のプロテニスプレイヤーの方から声をかけてもらって練習のお手伝いをしました。その練習の後、彼女が「このままランキングが上がらなければ、食べていけないし、引退しなくちゃいけない。でも3歳からテニスしかやってこなかったから、なにをしたらいいのかわからない」と話していたのです。
プロになりたかった僕に、プロが引退後の不安を語っている。「テニスしかしてこなかった」という言葉がショックでした。自分の思いとして、「テニスがあるから今の私がある」と言ってほしかったです。そこから、ほかのスポーツはどうなのだろうと思って調べました。そうしたらサッカーや野球、バレー、バスケ等の4大メジャースポーツでもアスリートのセカンドキャリアが問題になっていることを初めて知ったんです。その瞬間、「競技者としては、もう難しいから、引退後のアスリートの支援することでスポーツの価値を伝えてい...
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