在宅医療をDX。全国約20万人の在宅療養患者を支える訪問看護の業務支援サービス【前編】
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2022年9月、訪問看護ステーション向け業務支援SaaS「iBow(アイボウ)」等の開発、サービス提供を手掛ける株式会社eWeLL(イーウェル)が東証グロース市場に上場しました。
同社を率いるのは、元プロジェットスキー選手で二度世界2位となった異色の経歴を持つ中野剛人さん。
医療にもITにも縁のなかった中野さんが、なぜ「iBow」を発案したのでしょうか?前編では、中野さんのユニークな歩みを振り返ります。
(聞き手/川内 イオ)
プロアスリートとして学んだこと
――中野さんはもともとプロジェットスキーの選手で、引退後にeWeLL起業という異色のキャリアを歩んでいます。そもそも、なぜプロジェットスキーヤーになろうと思ったのでしょうか?
中野 私は子どもの頃からスポーツが得意でしたが、自分が何をしたいのか、ずっと迷っていたんですよね。でも23歳の時、やっぱりスポーツの世界でトップに立ってみたいと思って、ジェットスキーを始めました。
それでプロになろうとトレーニングを始めた年に練習中の事故で肝臓破裂、意識不明の重体となり、その時に看護師さんのおかげで一命を取り留めたことがあります。これが私が医療に興味を持ったきっかけでした。
命を救ってくれた看護師さんに恩返し
――医師ではなく、看護師に救われたというのはどういうことですか?
中野 事故で病院に運び込まれた時、肋骨が折れていなかったので、医者には「帰っていい」と言われたんです。でも、なにかおかしいと思っていたんですよね。そうしたら、看護師さんが「ここで少し安静にしていったら?なにかあったらこれを鳴らして」とナースコールを手に握らせてくれて。それから間もなくして容態が急変して、ナースコールを鳴らして数秒で意識を失いました。あの時、もし帰宅していたら、途中で倒れて間違いなく死んでいました。看護師さんのおかげで助かったんです。
その後も約10カ月の入院で多くの看護師さんにすごくお世話になったし、いかに大変な仕事かを目の当たりにしました。
――大変な事故を経験しても日本一になりたかったんですね。どうやったらジェットスキーのプロになれるんですか?
中野 日本ジェットスキースポーツ連盟の大会に出場して、3年間、安定してトップ3に入る成績を上げるとプロになることができます。私はその資格を得て2000年からプロになり、2011年に引退しました。
――中野さんは狙い通り日本で1位になり、世界ランキングでも2位に入るなど活躍されました。アスリートとして学んだことはなんですか?
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