【LMIグループ株式会社 永井 俊輔氏】学習と成長の旅路-ビジネス少年の道程-。(Vol.1)
経営者JPが運営する志高き経営者・経営幹部・次世代リーダーが集う会員制プラットフォーム「KEIEISHA TERRACE」。「私が経営者になった日」では、経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか、その瞬間に迫ります!
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
創業以来36年間商空間事業・生活空間事業を主事業とし、各領域のプロフェッショナルとして様々な課題を抱えるリテール企業向けに深い知見を活かした総合的ソリューションを展開。近年は、「顧客データ収集」「データ活用」の視点で「商空間」と「生活空間」におけるオフライン店舗の顧客データ(「フィジカルワールドデータ」)の活用に取り組んでいるLMIグループ株式会社 代表取締役社長 永井俊輔氏に3回にわたってお話を伺いました。
社長より、イノベーションを起こす仕事をしたかった。
子どもの頃、自分の家は友人たちの家より少し裕福なのだなと永井氏は感じていたという。
「子どもですから家の広さや、海外旅行に行く頻度程度のことですが、それは家が事業を運営しているためだろうと思っていました。ところが、我が家の事業は確かにそれなりに順調でしたが、現代で言うところのIT・テックといったきらきらした業界とは異なります。マーケットの可能性を見ても、今後市場規模が数倍になり、競争優位性を持って競合と差別化をして成長してゆく大きく世界を変えるような会社にはきっとならないと、小学生の高学年位になるころに思っていました。
たまに家族から事業の話を聞くこともありましたが、現代の経営者が当たり前のように語る“この仕事にはこういう夢と希望があって、これがわれわれの会社のミッションで、こういうロードマップで世界を変えるのだ”という話ではありませんでした。“この商売でどう稼ぎ、どうやって生計を立てるか、一人でも多くの家族を、従業員の家族を、どうやって食わすのか”という話が多かったと記憶しています。これは永井家に限らず当時の1980年代の日本の中小企業経営者の一般的な視座だったのだと思います。」
父のように経営者になりたいという気持ちはなく、勉強好きだったこともあり、中学の卒業文集では弁護士になりたいと書いていた。
「高校生になってからは、イノベーションという単語を知り、自分が有望だと感じるアイデアを活用して、イノベーションを起こすような仕事をしたいと思っていました。」
実家の不動産業を任された高校・大学時代。
実家では看板工事会社の経営と同時に、農家だった祖父が持っていた多くの土地に収益物件となるアパート・マンションを建てるというビジネスもやっていた。
「その不動産事業で、わたしが高校1年生から多くを任されて社長みたいなことをや...
▼KEIEISHA TERRACE(無料会員)へ登録して全文読む
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?