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社会人を経て助産師になった〜助産師学校時代②〜

実習先は自宅から1時間強の場所。
実習期間の記憶はあるけれど、子どもの保育園の
送り迎えはどうしていたのか、記憶がない。

でも運動会は、途中しか見られなかった記憶はある。

一時期は遠方の義母に泊まりで来てもらったりもしていた。

実習は病棟と同じ8時過ぎに入り、夜は21時くらいまで。その間にお産があれば、分娩が取れるので声がかかる。

お産をとるといっても、もちろん陣痛から受け持たせてもらうので、午前中に陣発していないとなかなか厳しい。

でもお産の多い病院で年間1000件はあるところだったので、3か月の間で時には他施設にも行きながらほとんどのメンバーが10件取ることができた。

ここの産院はちょっと他とは違う、お産やママの持つ力をとても大切にしている産院だった。

ずっと憂鬱でしかなかった実習を、楽しいと思わせてくれたのもここの産院。

指導者さんはそれなりに厳しく怖い方もいたけれど、感情的ではなく、根拠がある厳しさで、育ててもらっている、といつも感じていた。

実習の分娩数を重ねる毎に、ラダーのように、良きところ、出来るようになったところを見つけて褒めてくださり、嬉しかった。

ここに就職したら良かったかも、とすら思う。
遠くてやめたけど。

そのあと、実際に就職したところで打ちのめされ、助産師という人に不信感を抱いて、しばらく助産師恐怖症に。
そのトラウマで未だに、バリバリの臨床には戻りたいと思えない。
その話はまたの機会に。

実習が終わり、解放感は半端なかった。
国試はまだ残っていたけれど、ほぼ卒業できたようなもの。
助産師学校も首席で卒業し、表彰されたのは良き思い出。

子どもと家族のおかげで取れた助産師免許。
今は臨床から離れているけれど、それでもやっぱり免許を取って良かった。

臨床でなくても、助産師として、1人の人間として、好きなことが出来ているから。
そして何より、直接ママ達と関わることができ、感謝してもらったり、学ばせてもらったり、こんな楽しい仕事はなかなかないと思っている。

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