愛をもって水に流す
主の祈りの中にこのようにあります。
「私たちの負い目を許してください、
私たちが負い目のある人を許すように。」
なんだか、上から目線?と思うフレーズだと思いませんか?(笑)
「私たちが負い目のある人を許すことができるように」だったら、日本人である私たちはしっくりくる気がします。
それでもこのように訳されたということは、ここに大切な意味があるのだと思います。
つまり、私たちは誰でも負い目のある人を許すことができる存在であるということ。
もし私達が憎しみや怒りの心で「あの人を絶対に許さない!」と強く念じた時、私たちの思考は攻撃的なエレメンタル(想念)を生み出し、その怒りの炎によって内臓はストレスにさらされ、長年その炎にさらされてやがては病気になり、攻撃的な怒りのエネルギーが心に充満することで私たちは神聖さから感情の地獄へとバイブレーションを下げてしまいます。
許すことで私たちは自分を感情の地獄へ、無知の闇へと落とすことから守られるのです。
無知の闇にある人は人の心に無頓着であり、自己中心的で、自分の利益のために生きています。
それは無知の闇にある人がその闇を生き抜くために無意識にサバイバルしているからこそからかもしれません。
彼らは感情があり、知性がありますが、愛が欠けているために、神聖なエネルギーとの意識の繋がりが希薄です。
ですが、彼らにも毎日神聖な生命エネルギーが注がれ、体験の自由が与えられています。
愛が欠けると歪んだ欲望に囚われて、正しい愛ある考え方や行動ができなくなるのです。
あなたがもし、平和で調和の取れた世界にいるのなら、彼らに同調することはもちろん、そこから決して落ちてはいけません。
怒りを向けることは怒りによって繋がりを深めてしまい、因縁を生んでしまいます。
また、あなたが裁かなくても、彼らは真理の法則の中で裁かれ、辛い学びをするのです。
あなたの大切な心を怒りや悲しみで砕いてはいけません。
あなたの神聖さを保つために、清らかな心で愛をもって怒りも悲しみも水に流してください。