病気はレッスン2 自己不信
病気はレッスンの続きです。
前回、病気とは不満足によってできているとお話しました。
今回はもう少し掘り下げて行きましょう。
治らない病にかかった人やどんな治療をしてもなかなか良くならない人にはどのような学びが病気の中に隠されているのでしょうか?
治らないケースのひとつに罪悪感があります。
「私は罪を背負うべきである。なぜなら○○だから。」
この○○の中にはいろんな言葉が入ります。
例えば、
私は失敗したから、
私は愛されなかったから、
私はダメな人間だから、
私は期待に答えられないから、
私は生まれるべきではなかったから、
などです。
自己否定によって作り出した罪がやがて体や心の健康を蝕み、いつまで経っても健康に戻ることができません。
自己否定の状況ではまず自分を信じていませんから、人を本当には信じることができません、ましてや神聖なるルーツであり源である絶対無限の存在を信頼することなどとても難しいでしょう。
天や神に祈るどころか、姿の見えぬ神に対して暴言を吐いているかもしれません。
自己否定は不信感を生み、自分に対する信頼もこの世に対する安心感も育たなくなります。
そのためますます不安になって確実なものを手に入れようとします。
・がむしゃらに働いて少しでも多くの収入を得ようとする。
・家や土地をたくさん所有したがる。
・ブランドにこだわる。
・学歴や家柄などを重視する。
こういった行動は自己不信から来る不安から起こります。
不安になればなるほど安定を求める欲求が生まれるのは自然なことです。
私たちの心にはシーソーがあり、片方が下がれば持ち上がった方を下げたくなるのです。
この世において常に安定して供給されているのは毎晩私たちが寝ている間に供給される命の糧です。
主の祈りの中で
「私たちに必要な糧を、今日も与えてください」と唱えますが、唱えなくても求めなくても世界中の人間に必要な糧が必ず与えられています。
自分を信じず、神を信じず、そのような状態で一体何ができるというのでしょう?
信心深く生きることと宗教を持つことや宗教組織に参加することはまったく別物です。
参加するだけで信心深くない人は世の中にはたくさんいるでしょう。
もしあなたが治らない病気で悩んでいるのならば、自分の中に罪深い感覚や罪悪感に繋がる想いや記憶がないか探してみてください。
もしあなたの周りに治らない病気で悩んでいる人がいるならばその人のために神を信じ、その人が病気の中に隠れているレッスンに早く気づいて元気に慣れるようにと愛と祝福のエレメンタルを作り、その人のために祈りましょう。
自分の病気は自分でケアする。
勝手に周りにいる人が学びを解いてあげたり、勝手に答えを教えようとしたりしてはいけません。
愛を持って相手を見守ることが出来ない時は不信感がある証拠です。
罪悪感も不信感も手放して、本当の安心を得ることが出来るのが真理の学びです。