れもんさんって、スルメのような人だね。
これは、私が20代の半ば、
母を亡くして1年経った頃、
友達に紹介されて、
お役所で半年の臨時のアルバイトをしていた。その職場の30代半ばくらいの、
上司Tさんから私に向けて言われた言葉である。
最近、この言葉と共に、
Tさんのことを思い出した。
お元気にされてるだろうか。
当時、私はサービス業の仕事ばかりしていて、お硬いイメージのお役所の仕事は
あまり自分には向いてないと思っていた。
ただ生活のため、日給につられたのだ。
しかし、思っていた以上に
新しい世界は楽しかった。
まだ独身で、年の変わらない職員さんや
アルバイトさんがたくさんいたその職場。
毎日、
楽しく仕事が出来た。
楽しみはやはり飲み会である。
上司のTさんは、
仕事の時は、
必要以外は
あまり話をしない人で、
「これ、コピー10部お願いします」
「ありがとう」と無表情で小さな声で話す。
私も、一緒に仕事してても
あまり話かけることはなかった。
ただ、飲み会だけは違った。
お酒が入ると陽気になってベラベラ話出し、
楽しく面白いことも言う。
別人なのだ。
雰囲気はドリフターズの加藤茶さん。
このTさんの姿を知ってから、
一緒に仕事をすることも、
抵抗がなくなり、
冗談も、たまに私のほうから
言うようになった。
飲み会は、
仕事をスムーズにする、
コミュニケーションを得るための
ひとつであると学習した。
交流会と称しての飲み会は、
月イチあり、
独身の私は迷わず参加出来たので、
私がお世話になった課での
チームワークもできてきた。
バイト期限の半年が近づいてきた
そんなある日、仕事中のでき事である。
いつものようにコピーを頼まれ、
Tさんに持って行くと、
突然、
「れもんさんってスルメのような人だね」
とTさんに言われた。
「えっ、スルメですか?」
私の脳裏には、
あの淡いベージュの
ぺったんこのスルメが浮かんだ。
これは、おちょくられてるのか?
いや、今は飲み会ではないのだ。
素面のTさんだ。
私は
「どう言う意味ですか?」
とTさんに尋ねてみた。
すると、Tさんは照れながら、
「いや、れもんさんって、スルメみたいに、噛めば噛むほど味があるなぁと思って…」
「はぁ、・・・」
どうやら、Tさんからの褒め言葉のようである。
私は、
美人やスタイルいいとか
そんな褒め言葉とは無縁のタイプ。
服も上手くきこなせないし、
化粧っけもない。
どちらかと言うと
オタク女子の風貌。
なんの取り柄もなく、
女性としても、人としても
褒められたこともあまりない。
自己肯定感もなく生きていた。
ちょうど、両親を亡くして
精神的にも経済的にも不安定で
自信も失くていたので
当時は落ち着きも無かったかもしれない。
ただ、生前母から
あなたは
だまっていたら
怒ってると思われるから
いつもニコニコしてなさいと
言われてたので、
ニコニコして、
人の話だけはよく聞いていた。
そんな私に対して
Tさんが
やっと見つけた
最高の褒め言葉
だったのだろう。
しかし、
20代半ばといったら、
当時は行き遅れだの、おつぼねさま、
そんなに働いてお金ばっかり貯めて
どうする…だの言われていた年ごろで、
上司の言葉は何かと敏感で、
私には当時受け入れられなかった。
それに、スルメだって…。
もっと、なんか違った表現ないのかなぁと、
そんな私でも贅沢なことに
思ってしまったのだ。
しかし、
あれから、20年以上が経ち、
この言葉は、
私にとって忘れられない
心に響いた言葉
となった。
今言われたら、上手に返せることばもあるし
笑って手をたたいて喜んでいただろう。
Tさんの温かい人柄も感じられただろう。
あの頃のことを考えると
上司Tさんの言葉は、
私にとっての最上級の褒め言葉だったと思う。
あの頃はもっといい言葉で、
言ってほしかったけど、
この年になったら
自分の身の丈に合った褒め言葉を
頂いたと思うのだ。
この言葉が似合うのは私ぐらいだろう。
自慢したい褒め言葉なのだ
よくこんな風に表現して頂いた。
この言葉はずっと忘れないと思う。
たった半年間のご縁で頂いた言葉だったけど、
私の中に刻まれた言葉。
現在、Tさんは何処にいるかも知らないし、
私がこんなふうに思ってるなんて、
とうてい知る由もない。
Tさんの中にはこのことなど
微塵も存在しないだろう。
でも、
もしTさんに会えるとしたなら、
「あの時は、
素敵な言葉をありがとうございました」
と言って、
当時の話に花を咲かせたい。
いつか会えたら…。
今日も最後まで読んで頂き
ありがとうございました。
遅くなりましまが、
今年も宜しくお願いいたします。
みなさんにとって
今日が良い1日になりますように☘️
れもん☺️
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