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やりどころのない気持ちの片づけ方

役員担当の1年間

私は某マンションに住んでいる。
父が15年ほど前から身体理由で引退してから、わからないながらに出席していたが、輪番が3年前に町内会、今年は管理組合が回ってきた。
父は絶対行かない。それだけの『何か』があって「行かない!」と言って聞かなくなった。

管理組合には罰金制度があったので、父に伏せられて1年行った。
間に勝手に入れられた町内会の留任があったから計3年。

仕事場もそうだけど、家庭も全て求められる努力が限度を超過していた。組合は特に父の代から途中出た時期を経由してさらに分からない方向へと進展していた。確実に分かることは年輪の行ったマンションに工事が重なっていくことは明確だ。
だけど、だからといって何でもハイハイ、とはうなづけないから「勉強不足で」「ちょっと父にも聞いて見たけどわからなくて」と聴きながら審議に当たったつもりだった。
この管理会社からは「他の組合さんからはメールアドレスの共有をもらうことでスムーズにやっている、会長さんや副会長さんの緊急時におけるストレスが少ない」とメールアドレスを共有していたが、何の意味があったのか。

そんなメールに連発するのは管理会社からの『緊急出費』の承諾を求めるメールが主で、わからないままうなづく訳にも行かないから確認も重ねたけど、そういうのも担当者にとって煩わしかったらしい、とだんだん分かった。

『失念して…』の乱用の恐ろしさ

昨日は総会だった。
担当者の「失念して…」発生しまくった超過金の多さに案の定、居住者からの質問は飛んだ。そして、居住者様のお一人からもそれに対しての指摘と今後の注意を受けていた。

ただ私が担当者はずるい、わたしは議会中ずっと思ってた。

この総会の質問の中にはそれに当たる資料付きのメールのやりとりが事前にあった。当マンションにはペット規約があり、それに対して質問をよせている人の欄が最初、空欄であった。
その質問者は…何かと居住者から疎外されているようなこれは性分なのだろうかー特性なのかとも私からは見えたー、とにかくマンションの居住者と同様にその担当者も感化されての対応のように受け取れたため、『対応予定』とも書かれず全くの空欄だった箇所の指摘を間接的に『ペット既約の違反がある可能性がある』と共に対応の可否のメールを送った。

しかし『関係無いものはリストから削除する』というメールの記載の如く、当日確認した資料で私の一文も記載されなかった。担当者は片や無関係の質問には丁寧に対応した記録をしっかり載せていたことから『この差は何だ?』心の中で悪態をついた。

これまでもわたしのメールは重ね重ね…無視されてきた。

今回も担当者からの返信はなく、代わりに時間をおいていつも小まめに情報を寄せてくださる監査役の居住者様から私のメールを引っ張って情報をその担当者に寄せてくれた。

それでも私から発信しているメールを気づいたのか気づいてないのか、担当者からのリアクションがくることはとうとうなかった。

回答にも及ばない後付け言い訳

そんな総会はその後もやはり質問の嵐だった。
質問に差し掛かったときその方はやはり予想通りの意見を発言。
当たり前だよ、と思った。

その一途前から偽証といえばオーバーだが自分たちが案内して会長に承諾させたことについて「会長が承諾しました!」と大声で言った担当者。
ご本人が冷静に「自分も大変迷ったが管理会社のご担当の案内に沿って決断をしたがもう少しこうしてもよかったかもと思った」と経緯を説明したから他の居住者方への理解は高まったが、その方はまだ入居間もなく、周囲でサポートすることを条件に精一杯会長職を努めてくれた人だった。

担当者はもちろんその経緯を知って居た、その中での発言だった。
そしてそのあと嵐は起きた。

もうどこで蓋を閉めていいかわからない総会に私はもう家に帰って薬を飲みたい、その会長さんもおそらくはどこで落とし前を付けたら…と困っての苦笑いだった、と私はその会長さんとの会話が増える度に『控え目な方だけどとても深慮深く素敵な方だな』と思っていた。それには時期が進むにつれ、総会資料の修正依頼に対する管理会社の未対応にも粛々と対応していた経緯があったからに相違ない。

間違っても『他人を見下げるような人では決してない』と感じる人だったので、参列者から「笑い事ではない、ペット規約があるのだから」と指摘されているのを横にて、胸がつまった。
こういう時に限って担当者のフォローは入らなかった。

そのことを議会で気持ちを押し込めて審議しようと思ったが、主権を握って話していた担当者は手挙げした私を無視して、次の議題に移した。

起因は担当者が作った質問問答にあるのに。

母の最期の会社だけに…

私がなぜこの会社にやりどころのない気持ちを募らせたのかは4年前に遡る。この会社が母が最期に勤めた会社だったから。

あの日のことは鮮明に今も覚えている。

事情があり母は何の気なしに当時のマンションの担当者に仕事口を相談した。母なら、と当時、の管理会社 担当者は自分が担当する会社のマンションを口利きしてくれその日、母は出勤した。

「15:00には電話をする」と笑顔で出て行った母。
でも予定の時間を大幅に過ぎても、あの日だけは父への迎えの要請電話がなかった。
私と父はやきもきした。
昼間、LINEで会話して…私の胸の中は嫌な空気でいっぱいになった。

母は元来より時間から時間までの仕事はしない人であった。
制服の着替えは勤務外が良識である、という通説を曲げたことは無い。
30分を過ぎても電話が来ない。今までこんな事は一度もなかった。

16:00になろうかという時電話が入った。
母の電話番号からなのにその声は母ではなかった。
その人は救命救急士の女性の方だった。

その時私たちは初めて母の異常を知った。

誰にも語れない気持ちのやりどころ

病院について医師に言われた言葉は「持って3日の生命」だった。
それでも母は救急車の中で止まってしまった心臓をがんばって生きて待っていてくれた。
その日は病院の仮眠室で休んだけれど、眠れるわけは無かった。
当の会社からは一つも電話が無かった。

そして3日と持たず母は息を引きとった。死水は私がとった。
父方の叔父の時、母がしてあげたことを真似るように呑めない口からコットンで乾いた口を拭いて、雫を絞りとってそこに入れた。
事情があり出ていった姉とようやく連絡が取れた矢先に「医師からもう本人の限界です」と言われ、姉を待ってあげることも出来ずに管を抜いて貰った。

あとで判ったのは母の不備もあり、すでに使われていない家の電話に会社は電話をくれていたという。母の携帯や緊急連絡先を知らない会社から携帯へ連絡はあるわけだが、私は母の死後、事情聴取にきた刑事から信じられない内容を聞きたのを、うろ覚えで覚えていている。
母は事故と事件の両面で警察の調査が入った。最終的に事故と判明したが、その時の会社の対応についての確か警察だったか同じように記憶した、と後になり姉もいう。

昼間に掃除用具を片づけにお母さんが戻らない間にその人たち、「戻らないね〜」とお茶してたと聞いたよ

私は葬儀の準備やら来客の対応でいっぱいだった。だから終わってしばらく経って虚無感でいっぱいになった。
母は無鉄砲なひとだった。でも他人を思いやりすぎるぐらい思いやりの深過ぎた人だった。母もADHDも持っていたと今は思う。

両極端すぎるぐらい、やり繰りと計画性が母にもなかった。
私も同じように血を引いたと思いながら、『自分の人生も大事にしながら母のできなかったことを頑張るしかないんだ』と今を生きているが、そういった浮沈みしたわが家の事情と社会環境の適応能力が持てない中で私の病気は発病した。

愚直だったけど母はいつもどんな時も頑張る理由が『家族』だった。
それなのに私は逃げた。
私は母を助けたくて犠牲にした時間ももっと頑張れることがあったはずなのに、自責の念いでこの4年を過ごしてきた。

管理会社にしても、母から頼み込むような形で就職させていただいて、1日目でこのようになり、本来なら『意図的』と捉えられてもおかしくない状況でもあったにも関わらず受けたご厚情を考え、また会社の上役とともに少し馴染のあった過去の担当者ー母と随分親しくしてくれたーが直に謝罪にきてくれたこと、そして『勤務初日のスタッフ(母)が長い時間戻らず、しかも一人重篤の状態で、他の人たちはお茶菓子をつまんでいたという事実』に対してでもあったろう。ー記憶がまだ錯綜していて、断言しては控えるー当時の担当者は「こちらの発見が早かったら、もしかしたらお母さんは死ななくて済んだかも知れない。申し訳なけなかった」と気持ちを汲んでくれたと思ったから、母にも不徳があったと当時は自分に言い聞かせて「自社での勤務だったことを他言しないでほしい」と言う会社の要望にも、この4年ずっと納めて来たつもりだった。墓場まで持っていく覚悟でいた。

だから今回のことで限界だった。
そういうずるい対応見て、本人だけでなく会社の体制、ー世の中お互い様の部分はあるにせよースッタフの在り方…様々な想いが身体の髄を走って心が詰まった。

ことばの量は気持ちの砕き方で決まる

総会の後、確かに担当者は謝罪のメールをくれた。私も当人だけでなく角席ではあっても「会長に対しての発言ひどいんじゃないの!」と議会中に言いに行った私にも語尾が強かったと謝罪した。ともに母の事もあり、父の名代で伺っている事もあったのでたかがメールの返信ひとつで、と不快になった気持ちをこらえ黙っていたこと、また「失念の多さ」も事情がおありかと察したこと、また「もしかしたら何かと難しい職場でこちらでは分かり得ない辛いお立場」もあるのではという事を自分の経験も含めて話し、ケアレスミスに対する理解も、でもその未対応がこうして質問者の気持ちを疎外させた事は拭えない事実である指摘をー気持ちを汲むよう努めてーメールを返信した。

総会の席で出力された資料を確認したとき、(担当者)さんがそのExcel添付のメールにて『不要のものは載せない』とおっしゃっていたことも脳裏に浮かび、(担当者)さんにとって私の一言が不要だったかもしれないと思いながら、どこか心が晴れずにいました。

帰宅してからも心が晴れずずっと想像していました。

もし、あの返答箇所に私からの『ペット規約違反の可能性がある指摘を受けた』ところに『(監査役)さん2名ご担当時にご確認いただいた情報』さらに今後、規約を見直した上で様子見と再検討/適宜対応する、としたら(質問者)様のお気持ちはどこまで違っていたのだろうか、と。

やりとりしたメールの一部抜粋

しかしその後の追伸のメールは事務的で、大変驚いた。

「あなたの誤解です」
「当日の席で話そうとちゃんと思いました」
「理由を話してなくあなたを誤解させました…」

一部抜粋

「後で総会の席で弁明しようとした」としてもそもそも失念だらけの状態でヒートアップしている議会どう口を回すつもりのかかえって聴きたくなる。
「あなたの誤解です」、「当日の席で話そうとちゃんと思いました」「理由を話してなくあなたを誤解させました…」
私だけが知らないのか、逆に聴きたくなる。
全員知らないのか、私だけに言わなかったのか。

『誤解です』?
何が?貴方の業務に対する怠慢でしょ?
こっちはね!…口に出せない気持ちでメール見ないで捨てればよかったと思うくらい気持ちを汲み取られていない、事務的な対応で毅然に終わらそうとしている態度が私の気持ち打ち砕かれた。

ずるい、だけでない。
『会社のワークバランスの問題もあるのかな、だから失念にも繋がるのかな』とも思ったけど、返ってきたメールの言いぐさを見る限りどうもそういうことでもなさそうである。

担当者はその家庭の様々な記録を見れるわけだから、その人の人格を定めようと思えば定められるわけだから、私が病気を背負ったこともその中で転職を繰り返したことも、どんな気持ちで見ていたのかとも想像した。

足元見てうまくやり込めようとしてるんのが随所で伝わった。
これはもう会社の体制、人格形成の問題ではないのか?とダイレクトに思いしまい込んでいた気持ちが放出した。
だからと言ってやり込めてもなんか違う気もした。

それはマンションみんなで契約している管理会社を私の一存でクレームの嵐にすることではないから。
非情な言い方かもしれないが、わたしもそうしてやれば良い、と正しくないかしれないけど、馬鹿馬鹿しいのでその後の返信は無視を決め込むことにした。

個人情報に触れるので詳細は伏せるが、その管理会社はとあるトラブルで総会の少し前にとある住居者から管理会社の変更を進言する発言が出されていた。その話も聞くところによると何とも管理会社のずさんなシステムが垣間見える。
その方に頑張って貰って会社が変わってくれても差し支えない、程度だったが、本当にそうなってくれたらよかった、と昨日ばりは強く、強くそう感じた。
そんな質問の回答に至らないような返信がきて…かえって収まりかけた気持ちが、煮え繰り返って仕方がなかったから、もう考えるのと関わるのをやめたくて、ひとまず経緯を載せたくてnoteに日記として記すことにした。

長くなったが、まとめると言葉数の適量って相手への心の碎き方に比例するな、と痛感する。
そう感じたのは文面の最初にきちんと私がその会社に対するご厚情に対しての気持ちも添えていたから。
担当者は議会の席のいたる所で「自分が当時の担当ではないので詳細は」と口癖のように言っていた。
いや、それなりの引継ぎは、なかったのかも。母のせいで。
きっとそう言った部分の気持ちもあったのかも知れないが、とにかく定型文のような凝り固まったメールが、私をそこまでの気持ちにさせたから、もう良いや、と思った。

まとめ

結局これっていう落とし前はないけど、関わらないことがこの場合の最善のきもちの片づけ方とも思った。
違う部分もあるとは思うけど、今はもうこうするしかないかな、と思った。
もちろん実情はどうあれ、はき違えてはならない思いもあるから、本当に自分もこれからひとつひとつを気をつける人間になるためのセッションだったのかとも知れない。

ってかこんなやり取りするんなら、「管理会社となんて、メアドの共有意味ないよ!」って言ってやりたくなったね!

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