青春は潔癖だ 小説「青が散る」のすすめ
テニスに打ち込んだ大学生、燎平の生活を描いた小説「青が散る」では、「潔癖」という言葉が登場する。
出所:青が散る(文藝春秋) 宮本輝
あなたは自分が潔癖だと思うだろうか?
青が散るのあらすじ
出所:公式サイト(文藝春秋)
潔癖とは
デジタル大辞泉によると、潔癖についての解説は以下のようになっている。
出所:デジタル大辞泉(小学館)
「青が散る」では、潔癖にどんな意味があるのだろうか。上記のうち、②「不正なことを嫌う」という意味に近いだろう。
加えて、私は「自分の言動に一貫性をもたせる」というニュアンスを含むと思う。
※以下、ネタバレを含みます。この記事をここまで読んで、ネタバレをされたくないと思った方は、いったん「青が散る」を読んで頂いて、その後にこの記事の残りを読んで頂けたら嬉しいです!
行動と結果を一貫させるべき
厳格な辰巳教授は、講義を無断で欠席した燎平に対して、潔癖を用いた次の文言を述べる。
出所:青が散る(文藝春秋) 宮本輝
講義をサボると、自由時間が生まれるが、単位がもらえる確率は下がる。
講義をうければ、講義中は教室にいなければならないが、単位が取れる確率は上がる。
どちらを選ぶかは自由ではあるが、自分の言動に応じた結果がいずれ生じる。
その結果を受け入れるべきであり、良いとこどりするのは潔癖とはいえない。自分の行動と一貫した結果を受け入れるべきである。
そして、行動は潔癖であらねばいけない。
まさに青春は、純白、いや潔癖なのだ。
対人関係における潔癖
さらに、個人のなかで完結する行動(例:講義をうけるか否か)だけではなく、対人関係における言動にも潔癖は求められるのではないだろうか。
婚約者がいる田岡と恋仲になった夏子に対し、夏子に想いを寄せる燎平はこのように述べる。
出所:青が散る(文藝春秋) 宮本輝
夏子は田岡さんと駆け落ちに近い行動をとる。
その夏子の行動は、潔癖なのだろうか。
特に、田岡さんと婚約している朝原さんに対して、潔癖な行動をしたと胸を張って言えるのだろうか。
他者と自分に「潔癖でない」と思うこと
生活するなかで、他者の言動に対して、「食い違いがある」「一貫していない」という思いを抱くことがある。
その想いは、「潔癖でない」という感情に近いのかもしれない。
日常生活で「潔癖でない」と感じることは、私に文章を書かせる原動力の一つとなっている。
もっとも、我が身を振り返ると、「私は潔癖である」と声を大にして言えるかと訊かれれば答えに窮する。
潔癖に生きようとしても、潔癖でないように生きてしまうのが人間の性であるようだ。
それでも、潔癖に生きるよう努めたいものである。