銀杏の臭いとカルボン酸

紅葉の季節も終わりに近づいてきました。イチョウの木の下に広がる黄色い絨毯に目を奪われますが、銀杏の臭いが漂ってくるとその喜びも束の間、一気に興が覚めてしまう方もいるのではないでしょうか。多くの方が不快に感じるあの臭いの元は一体どんな物質なのでしょうか?それは酪酸(図1, 左)とへプタン酸(図1, 右)という物質¹⁾になります。これらはカルボン酸と総称される物質です。

図1. 酪酸(左)とへプタン酸(右)

分子内にカルボキシル基(-COOH)を持つ化合物をカルボン酸といいます。身近なカルボン酸の例を挙げると、お酢に含まれる酢酸(図2)が挙げられます。お酢や銀杏の臭いから予想されるように、多くのカルボン酸は不快な臭いを持っています。

図2. 酢酸

酪酸²⁾は銀杏だけでなくバターなどにも含まれており、いわゆる動物臭さの元になる化合物で、チーズなどのフレーバーにも用いられています。また、イチョウを含めた植物の中にも酪酸を含むものがあり、ラベンダーの精油にも含まれることが知られています。微量の酪酸を使用することでフローラルな香りにコクと広がりを出すことができます。

銀杏以外にへプタン酸を含むものや、使用されている物を今回は見つけることができませんでした。銀杏に含まれる化合物ではないのですが、へプタン酸に関連するエステルについて紹介したいと思います。へプタン酸のエステルの1つであるへプタン酸エチル³⁾はリンゴ、ブドウやパイナップルに存在する成分で、フルーツワインやブランデーを想起させる香りの化合物です。フレーバーとしてはバターやチーズなどの動物性の食品類や、リンゴなどを始めとした果物類、コーヒー、ブランデーやココアなどの嗜好品類に用いられています。エステルの記事でも紹介したいのですが、エステルは果物などの香りの成分です。エステルの合成にはいくつかの合成法がありますが、代表的なものはカルボン酸とアルコールから合成する方法です。ゆえにエステルにはカルボン酸の構造の名残がありますが、香りは大きく異なります。身近な例を挙げると、酢酸はお酢の臭いですが、酢酸とエタノールから合成される酢酸エチルは果実臭です(接着剤のセメダインの臭いです。酢酸エチルは溶剤としても使われています。)。形が似ている分子なのに大きく香りが異なるのは面白いですね。

図3. へプタン酸エチル

また、カルボン酸は名前の通り水素イオン(プロトン, H⁺)を放出できる性質を持つため酸性を示します。もしも、靴などに銀杏や他のカルボン酸の臭いが付いてしまった場合は、重曹水(炭酸水素ナトリウム水溶液, NaHCO₃)などのアルカリで中和して洗い流すのが良いでしょう。酢酸と酪酸⁴⁾の場合は水に溶けますが、炭素数が多いカルボン酸ほど水に溶けなくなってくるので、水だけで洗い流すのが難しくなってきます。なので、酸とアルカリが中和して塩(えん)を作る性質を利用しましょう。塩の多くは水に溶ける性質を持ちます。ゆえに、中和前は洗い流せなかったカルボン酸も塩になれば水で洗い流すことができるようになります。

カルボン酸はアルコールの酸化で合成することができます。(他にも色々な合成法がありますが省略します。ある種の試薬と二酸化炭素を反応させることでも生成します。気になる方は“ブチルリチウム”や”グリニャール試薬”を調べてみてください。) 以下の図4にアルコールの酸化の一般式を示しました。

図4. アルコールの酸化の一般式

1級アルコール(ヒドロキシ基(-OH)のふもとの炭素に枝分かれがない構造のアルコール)を適切な試薬で処理するとアルコールをカルボン酸にまで酸化できます(二クロム酸カリウム(K₂Cr₂O₇)やジョーンズ試薬(CrO₃, H₂SO₄)など)。また、特定の試薬ではアルコールの酸化をアルデヒドまでで止めることができます(PCC酸化やスワーン酸化)。ゆえにカルボン酸を得るためには、どの試薬でアルコールの酸化を行うかが重要になってきます。

また、類似の反応は実験室だけでなく、身近な所でも起こります。エタノール(CH₃CH₂OH)の場合は試薬を用いなくとも空気中の酸素によって徐々に酸化反応が起こります。開栓後しばらく置いたワインなどに酸味が現れることがあるのは、空気中の酸素によってエタノールが酢酸にまで酸化されるからです。

【参考文献】
1) tenki.jp, ぎんなんが臭い!ちょっと謎なその理由とは?美味しいけれど毒があるって本当!?, https://tenki.jp/suppl/usagida/2020/11/17/30068.html (2023年12月14日閲覧)

2) 湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年6月, p199, 酪酸

3) 湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年6月, p165, へプタン酸エチル

4) 長倉三郎ら 編, 岩波 理化学辞典 第5版, 岩波書店, 2005年, 酪酸 (電子辞書版)