良い匂いのアルデヒド
前回の投稿ではカメムシの臭い成分がtrans-2-ヘキセナール(図1)というアルデヒドであるというお話をしました。もしかすると、アルデヒドは臭いものというイメージになってしまったかもしれません。今回はアルデヒドの名誉回復のために良い匂いのアルデヒドたちを紹介します。
シトロネラール(図2)はレモンの香り¹⁾を持つアルデヒドで、レモングラスの仲間であるシトロネラやレモンユーカリに含まれる香りの成分²⁾の1つです。レモンユーカリの精油は、私がアロマテラピーに役立てているお気に入りの精油の1つです。読書や作業などで疲れた頭や、落ち込んだ気分をスッキリさせてくれるような明るさを持つ香りですが、かなり強く香るので使用量には注意してください。また、アウトドアで使った虫よけのキャンドルからレモンユーカリの香りがしたことを覚えています。
バニリン(図3)は名前の通りバニラに含まれる香気成分です。アイスクリームやチョコレートを始めとした食品に広く用いられるほか、化粧品香料としても用いられることがあります³⁾。ベンゼン環にホルミル基(-CHO)が置換したアルデヒドを芳香族アルデヒドといいます。また、ベンゼン環にヒドロキシ基(-OH)が置換した化合物をフェノールといいます。バニリンは芳香族アルデヒドであることに加えてフェノールであるため、アルデヒドを用いた反応開発の研究で反応性を確かめる実験にしばしば用いられることがあります。フェノールは若干の酸性を示すため、そういったアルデヒドに対しても反応が有効かを試験するためです。バニリンは少量でも強く香るため、使用した実験器具に香りがついてしまい、洗浄してもなかなか匂いが落ちないということがありました。匂いの強い物質が衣服に直接付着しないように実験中は白衣を着ましょう。
アニスアルデヒド(図4)はアニスやフェンネルに含まれる香り成分⁴⁾の1つで、名前の通りアニスのような甘い香りを持っています。アニスアルデヒドにはメトキシ基(CH₃O-)の位置によってo-(オルト), m-(メタ), p-(パラ)の 3つの異性体が存在します(図4はp-アニスアルデヒド)。これらを実験で使用したことがありますが、香りには大きな差がない印象でした。(反応性には差が出ることがあります。)メトキシ基には芳香環に電子を供与する性質があるので、電子豊富な芳香環を持つアルデヒドとして実験に用いられることがあります。ところで、アニスとフェンネルの香りの主成分はアネトール⁵⁾という化合物で、これもベンゼン環にメトキシ基が置換した構造を持っています。フェンネルのハーブティーを飲んだことがありますが、アニスアルデヒドと同じような香りがしました。個人的な経験ですが、芳香環にメトキシ基が置換した化合物は甘い香りを持つ物が多い印象があります。母核となる構造の化合物であるアニソールの匂いは石油や香水のように感じられる甘い香りであった記憶があります。
ベンズアルデヒドはアーモンドや桃の核に配糖体として存在しており、各種のフレグランスやフレーバーに用いられています⁶⁾。ベンズアルデヒドは杏仁豆腐のような香りを持っており、空気中の酸素により速やかに酸化され安息香酸になる性質があります。ベンズアルデヒドをピペットで1滴実験台の上に垂らして数分間放置すると安息香酸の白い結晶が現れます。最も単純な構造の芳香族アルデヒドであり、実験にもよく用いられますが、前述の空気酸化されやすい性質には注意が必要です。純度に不安があれば減圧蒸留などで精製してから使用することをお勧めします。購入した大瓶から適量を抜き出して小瓶に分けて保管し、必要時は小瓶から使用して元の大瓶を開封する回数を減らすのも試薬を傷めないための手段の1つです。使用後は忘れずに瓶を不活性ガス(窒素やアルゴン)で置換しましょう。
シンナムアルデヒド(図6)はシナモンに含まれる香気成分です⁷⁾。シナモンのフレーバーだけでなく、スパイスやミントのフレーバーを始めとした食品用途に広く使用されています。シンナムアルデヒドのホルミル基(-CHO)の隣の炭素-炭素結合を見ると、さらに隣の炭素と二重結合(-C=C-)を形成しています。こういった構造のアルデヒドをα,β-不飽和アルデヒドといいます。(ホルミル基に直結している炭素をαとして、その隣の炭素をβと表しています。) 私は、シンナムアルデヒドを使用したことはあるのですが、香りの詳細は残念ながら覚えていません。一方で、シンナムアルデヒドのα,β二重結合部位が単結合に置き換わった構造を持つヒドロシンナムアルデヒドを扱ったことは覚えており、香水のような香りが強く、服に匂いが染みついて洗濯しても取れなくなってしまったため、服を処分した思い出があります。匂いが強いものを扱う際は、お気に入りの服を着ていくことは避けた方が良いでしょう。
クミンに含まれるクミンアルデヒドというものもあります。クミンはインドカレーにも使われるスパイスの1つです。我々の食欲をそそる匂いにもアルデヒドが一役買っています。また、クミンアルデヒドは米びつ用の虫よけにも用いられています。
今回は私の経験や体験談が多い記事になってしまいましたが、化学や香りについて興味を持っていただけたら嬉しいです。
【参考文献】
1) 長倉三郎ら 編, 岩波 理化学辞典 第5版, 岩波書店, 2005年, シトロネラール (電子辞書版)
2) 生活の木, シトロネラ|エッセンシャルオイル|アロマブレンドラボラトリー, https://www.treeoflife.co.jp/library/aromablendlab/essentialoil/202005187115.html (2023年12月14日閲覧)
3) 湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年, p169, バニリン
4) 湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年, p202, アニスアルデヒド
5) 湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年, p173, アネトール
6) 湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年, p196-p197, ベンツアルデヒド
7) 湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年, p153, シンナミックアルデヒド