寂しさの温度。寂しいってきもち。
寂しさには温度があると思っていて。
まわりに沢山の人がいる時に寂しさを感じる人もいれば、特別な人がいないことに寂しさを感じる人もいる。
二人でいるのに感じる寂しさもあれば、離れているからこその寂しさもある。
涙がとめどなく溢れる寂しさもあれば、心が乾ききって涙の一粒さえこぼれない寂しさもある。
この温度ってとっても微妙で。
僅かな温度差でも全く言葉が通じなくなっちゃったりする。
「誰だって寂しいよ」
「それは贅沢な悩みだね」
なんて言葉が宙に浮いては消える。
分かり合おうとしない者たちの会話。
☆
その昔、こじらせた寂しさを抱えていた私は、長い年月を共に過ごした人にこう言い放ったのを思い出した。
「一緒にいてもどうしようもなく寂しい。心にぽっかり穴が空いていてあなたには埋められない。誰にも埋められない。」
…今思うと、まー酷いよね。その時は本当にそう思っていたし今よりもっと"言葉"を知らない若者だったから仕方ないんだけど、この言葉は私を愛してくれている人にとって刃になりかねない。
「あなたは必要ない」
そう言ってるようなもんだ。
お互いを特別な存在だと認め合うことで、その特別な存在に全身全霊で必要とされることで、生きていく意味を見出す瞬間だってある。
もちろん、それが全てではないけれど。
分かり合えなくていい。
寂しさの温度は違くていい。
違うからこそ理解し合いたい。
あなたのその温度を私に教えて欲しいと今なら思える。
そして自分が寂しさを感じることに対しての苦手意識を、それも自分の一部なんだと認めていくことで少しずつ心に溶かしていきたい。
寂しさを原動力にして生きていくことはもう二度と出来ないけれど、感じる寂しさに対してはもう少し素直になりたい。
女性は大いにホルモンバランスに影響を受ける生き物だけれど、それならば思う存分感じて泣いて笑って、ゆるし合って、今日も空を見上げながら生きようと思う。
穏やかな午後を。
久しぶりのnoteでした。
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